◆「子どもが欲しかった」その本当の気持ち
「子どもは欲しくなかったんですか?」
そんなふうに聞かれることが、たまにあります。
私は、子どもが欲しかった。
でもそれは、「自分で産みたい」と思ったわけじゃない。
もっと、根っこのところにあったのは──
愛が欲しいと訴える子に、私の愛を惜しみなくあげたい。
ただ、それだけでした。
◆ 血のつながりがなくても、心はつながる
私は、関わってきた子どもたちを
ずっとずっと、本当に自分の子どものように可愛がってきました。
血のつながりなんてなくても、
心がつながる瞬間が、たくさんあった。
笑った顔が、しんどそうな表情が、
泣きじゃくる声が、
まるで自分のことのように胸に飛び込んできた日々。
あの子の幸せを、心から願った。
どうか、ちゃんと生きていてほしいと祈った。
◆ 「うらやましい」と感じる、もうひとつの理由
もちろん、
今もふとしたときに思うことがあります。
「やっぱり子どもがいる人の人生、うらやましいな」って。
でもそれは、
“子どもがいること”そのものがうらやましいのではなくて──
私が選ばなかった方の人生を、体験できていることに
少しだけうらやましさを感じているのだと思います。
◆ 「親じゃないからわからない」と言われて
「先生は子どもがいないから、親の気持ちなんてわからないでしょ」
そう保護者に言われて、
悔しさとモヤモヤでいっぱいになったこともありました。
自分なりに、精いっぱい子どもたちと関わってきたつもりでも、
「親じゃないから」という一言で、
何かを否定されたように感じたことが、何度もありました。
そんなふうに思ってしまう自分のことも、
どこかで責めていた気がします。
本当は自分で選んだ道のはずなのに。
自分が納得して歩んできた人生のはずなのに。
気づけば「これでよかったのかな」と、
人と比べては立ち止まる自分がいた。
心のどこかで、
“選ばなかった”ことへの後悔と、
“選べなかった”ことへの後ろめたさが
絡まりあって、ほどけない時期もありました。
◆ それでも、私はこの人生を選びたい
それでも──
もう一度私という人生を歩むとしても、
やっぱり私は、子どもを持たない人生を選ぶと思うのです。
◆ 生徒のひと言が教えてくれたこと
ある時、生徒がこんなことを言いました。
「先生って、自分の子どもができたら、私たちのこと見捨てそうだよね」って。
そのときは「ひどーい!」なんて笑って返したけれど、
その言葉が、なぜか深く心に残って。
そんな言葉、言われたことありますか?
笑って返したけれど、あとになって胸の奥にずっと残るような──そんな言葉。
ほんとにそうかもしれないな。
もし本当の子どもがいたら、私はこの子たちに、
ここまで寄り添えていたんだろうか?──
そんなふうに、ふと考えてしまったのです。
生徒って、本当によく見てるなぁ。
私の奥の気持ちまで、ちゃんとわかってるんだなって思いました。
◆ 「母」でなくても、注げる愛がある
だから、今、はっきり言えます。
私は、子どもを産まなくてよかったんだと。
そうじゃなくても、「母」のように愛することは、できるから。
子どもを持たなかったことで、
どこか引け目を感じたり、
「本当の母親じゃないし」と、自分の気持ちにフタをしてきた人がいたとしたら──
どうか伝えたい。
あなたの中にあるその愛は、ちゃんと届いてるよ。
そして、十分すぎるくらい、“育てて”いるんだよ。
愛って、何かを「持つ」ことで確かになるんじゃない。
誰かを本気で思った瞬間に、生まれるものなんじゃないかって、私は思うのです。
そして──
あの子たちを思いながら、私自身もずっと育てられてきたんだな、と思います。
☽ そっと問いかけてみたい
あなたが、「わが子のように」愛してきた誰かは、いますか?
その子の笑顔が、心に残っている瞬間って、どんなときでしたか?
✦ 今日できる小さなアクション
「あの子のことで一番覚えているエピソード」をひとつ思い出してみてください。
それは、あなたが誰かを“育ててきた”証かもしれません。
▼ふと思い出すあの子の顔。
そんな気持ちがある方へ、noteでも綴っています。
➤こちらから
今日のサスケさん💕
ママさんのくつ下をドロボウ😆
かわいい💕

