少し前のこと。
 

私は自分から、あるコミュニティの中からそっと抜けました。
 

 

相手から見たら、「逃げた」と思われたかもしれないし、
実際、私自身も「逃げたな…」と感じたのが正直なところです。

 

 

でも、そのあとに感じたのは、“すっきりした”という気持ちでした。
 

 

 

ああ、これでよかったのかもしれない。
そう思えた自分がいたんです。

 

 

この経験を通して、あらためて考えました。
 

 

「逃げる」って、本当に悪いことなんだろうか?
そして、私は子どもたちに対して、どんな言葉をかけてきただろうか?

 

 

 


「逃げてもいいよ」って、ほんとにそうなの?

 

これまで私は、不登校の子どもたちに対して、
「逃げてもいいんだよ」と伝えたことがありました。

 

 

 

でも、あらためて思うんです。
 

 

そもそも、“逃げていい”ってどういうことなんだろう?
 

 

それって、本当に逃げるってことなの?
それとも、何かを守ろうとしたり

環境を変えようとしたりしていただけなのか?

 

 

 

あのときの私は、たしかに“逃げた”と思った。
でも、正直に言えば、私はただ、自分がそうしたかったからそうしたんです。

 

 

 

だからこそ、あらためて問いたくなったんです。
 

 

「逃げる」って、本当にいけないことなのかな?って。

 

 

 


「逃げる=悪い」は、ほんとう?

 

私たちはいつから「逃げる=悪いこと」だと信じてきたんだろう。
 

 

逃げる人を“弱い人”“甘えている人”と見る目線は

社会の中にまだまだ根強くあります。
 

 

 

でも、本当にそうでしょうか?

 

 

 

苦しい場所に無理やり踏みとどまることだけが「がんばる」じゃない。
限界を超える前に身を引くことも、
“がんばる方向を変える”という、勇気ある選択かもしれません。

 

 

「逃げる」は、“いけないこと”ではなくて、
「今の自分にとって大切なものを守る行動」でもある。
 

 

そう捉え直すことができたら、
その子、その人にとって

 

 

「最適だったのかもしれない」

「必要な選択だったのかもしれない」

 

 

と考えられるようになる気がします。

 

 

 


「逃げる」かどうかは、どこから見るかで変わる

 

ある場所から離れる。
それを「逃げた」と言う人もいれば、
「自分を守った」「新しい環境を選んだ」と見る人もいます。

 

 

 

周りから見れば「逃げた」に見えても、
本人にとっては、「これ以上ここにいたら壊れてしまう」と感じていたのかもしれない。

 

 

 

私も、あのとき「逃げた」と思ったけど、
本音を言えば、「その場所から離れたい」と自分が思ったから、そうした。
 

 

今の私は、その選択に納得しています。

 

 

 


子どもたちにも、大人にも届けたいまなざし

 

不登校になった子どもたちを、
「逃げた」と決めつけるのはとても簡単です。
 

 

でも、その前に、こう問いかけてみてほしい。

 

 

「あなたは何から離れようとしたの?」

 

 

そして、「逃げちゃったかも」と自分で言う子がいたら、
「その時のあなたには、それが必要だったんだね」って言える大人でいたい。
 

 

 

私も、そうありたい。

 

 

 


逃げることよりも、「どう選んだか」が大切

 

大事なのは、“逃げたかどうか”じゃなくて、
 

 

「自分でどうしたいかを、自分で選んだかどうか」。
 

 

そこにちゃんと、自分の気持ちがあったかどうか。

 

 

 

私のあの経験は、「逃げた日」ではなく

「自分のしたいことを選んで自分で決めた日」だったと思っています。

 

 

 


今日の問いかけ

 

あなたが「逃げた」と思っているあの出来事。
ほんとうは、何を守ろうとしていたの?

 

 

 


 

 

 

今日できる小さなアクション

 

「逃げた」と思っていた過去の出来事を、
別の言葉で言い換えてみる。

 

例:
・立ち止まった
・自分の気持ちに正直になった
・やり方を変えた
・自分にやさしくした

 

 

 

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今日のサスケさん💕

なんて怠惰な‼️

でも…かわいい💕