🕰「あと2年しか」じゃない。「2年も」なんだ。
高校生から、こんな相談を受けることがあります。
「卒業したら家を出たい」
「このままこの家にいたら、自分が壊れてしまいそう」
家庭環境がしんどくて、学校が“心の避難所”になっているような子どもたち。
そんな子にとって、
「卒業=自由への入り口」だと感じていることも少なくありません。
私はときどき、こんなふうに伝えることがあります。
「高校を卒業したら家を出るっていうのも一つの選択だよ」
「あと◯年。卒業までは学校を使い倒して、その先の道を考えるのもアリだよ」
でも、いつもその言葉を使うたびに、心のどこかで引っかかっていました。
“あと◯年”――それが、本人にとってどれほどの長さを持っているかを、ちゃんと想像できているだろうかって。
あるとき、ある高校生にこう言われたことがあります。
「先生、“2年しか”じゃないよ。“2年も”だよ」
その子の目を見て、私はハッとしました。
励ましたつもりの言葉が、
その子の苦しさに届いていなかったことに気づいた瞬間でした。
「この家で、あと2年も過ごさなきゃいけないのか」
「その間に何かが起こったらどうしよう。耐えきれるだろうか」
そんな不安や恐怖の中で、その子は毎日を生きていたのです。
大人にとっての“2年”は、「なんとかなる」「あっという間」の時間かもしれません。
でも、10代の子どもにとっての“2年”は、
毎日毎日を全力で乗り越えていく、ものすごく濃くて、しんどくて、長い時間です。
朝起きて、登校して、教室にいて、家に帰る。
その一日一日が、積み重なって2年あると思うと…
それは“未来”なんて悠長な話ではなく、“今ここ”の連続なのです。
もしそれが中学生だったらどうでしょうか?
社会に出るまで、あと4年、5年もある。
「今を我慢していれば、いつか自由になれるよ」と言われても、
その“いつか”は、あまりにも遠すぎて現実味がない。
環境を自分の力では変えられないという無力感。
「頑張れば報われる」と言われても、何をどう頑張ればいいのかもわからない。
そんな中で「ただ、今を生き延びる」ことだけに力を注いでいる子どもも、きっといます。
⏳支援者どうしでも、時間のとらえ方はちがう
子どもたちに関わる大人の中でも、「時間」に対する見方はさまざまです。
たとえば担任の先生。
「自分が担任をしているこの1年で、なんとかしたい」
そんな思いで、子どもに向き合ってくれる先生の存在は、本当に心強いものです。
でも一方で、養護教諭やスクールカウンセラーの立場から見ると、
「この子は今、無理に学校に来るよりも、休むことが必要なのかもしれない」
「長い人生の中で、1年や2年、ゆっくり立ち止まる時間があってもいい」
そう考えることもあります。
同じ子どもに関わっていても、「どう時間をとらえるか」が違うだけで、
支援の方向性が食い違ってしまうこともあります。
でも、それはどちらかが間違っているということではありません。
「今を動かす力」と「今を休ませる力」
どちらも、子どもにとって必要なことがある。
その違いを責めあうのではなく、
補い合いながら、「この子にとっての今、何が必要なのか?」を一緒に考えていく。
そんな関係性が築けたら、とても心強いと思うのです。
私はいつも悩みます。
子どもたちの“時間”に、どんなふうに寄り添えるのかって。
「あと少しの辛抱だよ」と言いたくなる気持ちもわかる。
でも、その“あと少し”が、あの子たちにとっては“永遠”にも感じられることがある。
「2年もあるね。でもその時間を、あなたひとりにしないよ」
そんなふうに言える大人でいたいと、心から思うのです。
💭あなたに問いかけたいこと
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あの子にとっての「今」って、どれくらい重たい時間なんだろう?
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「あと少し」と言いたくなるとき、それは誰の時間感覚で話しているんだろう?
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子どもの“時間”に、ちゃんと寄り添えているだろうか?
🪴今日できる、小さなアクション
・「あと少し」ではなく、「今」を見つめる言葉に言い換えてみる
・子どもが過ごす“1日”の濃さを想像しながら話を聴いてみる
・支援者どうしの“時間のとらえ方の違い”を、共有する対話の場をつくってみる
✏️noteでは、もう少し深く書いています
今日のサスケさん💕
ちょっとゴミ出しして帰ってきたら、満面の笑みで迎えてくれた💕
かわいい💕

