私が留守で夫が散歩に連れ出してくれてたのに

 

母はいつもと同じでした。

 

私に気づいてあ~と表情が開くのも同じ。

車椅子のまま足でこちらに歩いてくるのも同じ。

 

私の散歩は3週間ぶりなのに

な~んにも気づいてなくて

 

見た目も表情も私に対する反応も

まったく変化なし。

 

母のことだけ考えるなら

心も体も安定してるってことですね。

image

最近の母の特徴は指さし。

 

「あそこホラ、根っこが出とるやろ」

とか

「あそこは集会所やろか」

とか

指さすようになっている。

 

言葉の抽象性が低下して

指さしで補おうとしているのかも。

image

それにしても母は元気そうでした。

 

ここまで変化がないのは施設のおかげだと思う。

 

かつて家にいた頃

母も私も

母はもう何もできないと思っていた。

 

ご飯作りを手伝ってもらうことはなかった。

 

食器洗いもしなくなっていたし

 

母にできるのは洗濯物をたたむ事くらい。

茹で卵のカラは剥いてもらっていた。

 

テレビも興味なし。

新聞も開きさえしない。

 

な~んにもすることなく座っていただけ。

 

我々との会話も当たり障りのない日常会話のみ。

お互い話すことなど何もなくて

「会話」と言えるレベルじゃなかった。

 

でも施設だと

自分たちでご飯を作ったり

おやつを作ったり

 

「すること」がある。

image

することがあるって生きていることそのもの。

 

することがなくなったら

体はそれなりに楽だろうけど

心が死に始めるのかも。

 

体調がどんなであっても

することをなくしたり禁止したりしてはいけない。

 

生活するための料理洗濯掃除もろもろ。

 

それがどんなに大切か。

それが生きることをどんなに支えているか。

 

痛切に感じたのでありました。