見知らぬ外国人同士が通りを歩いていて

 

ボンジュールと挨拶。

 

それが家族のような付き合いのきっかけ。

 

夫婦に子供3人+お祖母ちゃんのリーフン家。

 

近所に住んでいたんですけど

 

初めて会ったのはマルシェからの帰り道。

 

グランメール(おばあちゃん)とふたりでマルシェに行くシエンヌが

 

すごく心を開いた感じで私に挨拶してくれて

 

「日本人?」と聞かれたんです。

 

立ち話をしてラオスの難民だと知りました。

 

二度目に会った時も立ち話。

 

東洋人同士の親近感がありましたし

 

シエンヌの気取りのなさも好印象でした。

 

ちょうど夏休みの直前。

 

ヴァカンス大国のフランスですから

 

どの人もどこかへ出かけてしまいます。

 

でも彼らはどこにも行かないと言うんです。

 

私たちも最初の年はヴァカンスなんて考えもしませんでした。

 

「どこにも行かないの?」

 

近所の人から気の毒そうに言われましたが

 

当たり前です。

 

4月に日本から来たばかりだったんです。

 

でも7月も半ばを過ぎると子供の姿が消えます。

 

パン屋も1ヵ月休み。

 

パリから人が消えるんです。

 

シエンヌから夏は出かけないと聞いて

 

気の毒になって

 

うちに食事に招きました。

 

人を食事に招く時は子供抜きが常識だけど

 

可哀そうな子供たちのためだから

 

家族全員を招待。

 

メイン料理はカレーにしました。

 

日本から持ってきたカレールーは

 

パリでは入手できない貴重品。

 

ウチの子用に残しておきたくて迷ったけれど

 

エイヤッと踏み切りました。

 

親しくなってから

 

「あのカレーは美味しくなかった。カレーとは私の作ったこれだよ」

 

料理上手のご主人リーフンに言われました(笑)

 

その後すぐに返礼の呼び返しがあって

 

私たちも子供たちをつれて行きました。

 

テーブルには1本の赤い薔薇。

 

アスパラとカニのポタージュから始まった料理は素晴らしかったけれど

 

カトラリーの粗末だったこと。

 

ちょっと胸が痛みました。

 

でも彼らは貧しさを恥じていませんでした。

 

会話も態度も堂々としていて

 

知的で頭のいい人たちだと感じました。

 

1本だけの深紅の薔薇の美しかったこと。

 

50年近くたった今でも鮮明に覚えています。

私の出産の時は上の3人を預かってくれました。

 

うちに泥棒が入ってショックを受けた時も

 

日本語の通じる日本人のところでなく

 

彼らのところに駆け込みました。

 

包み込んでくれる暖かさがあったからです。

 

ラオスではエリート中のエリートで

 

専属の運転手がいて

 

子供たちにはそれぞれ乳母をつけて

 

すごく恵まれた暮らしをしていたのに

 

すべてを失ってパリに逃げてきて

 

本当に貧しく暮らしていました。

彼らを思いだすたび

 

大切なのはお金でも財産でもない

 

他者を受けいれる包容力だと思います。

 

受けいれてつつみこむ暖かさ。

 

大事なのはそれだけかもと

 

しみじみ思います。

 

彼らの人生は映画のようにドラマチックでした。

 

長くなったので続きは改めて♪