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 3月14日 研修旅行1日目

 午前9時、大阪空港駅一階の広場に集まった私たちは気分の高揚を抑えることができずにいた。

 表情や声にそれは滲み出ていて、普段は大人しい人たちも口が止まることを知らない。

 友人と駄弁る人もいれば、出発前の記念写真を撮っている人もいる。

 担任陣は喧騒に包まれた広場で出欠確認と機内用のお弁当配りを行っていた。

「やばい、漏れてる」

 弁当を傾けた私は白のビニールに中身を少々こぼしてしまった。

 それを目撃した友人は笑い、私も自身の不注意に笑うしかなかった。

 那覇空港へと向かう飛行機に搭乗したのは午前11時ごろだった。

 宙に浮かぶ感覚と共に本土の地を離れ、沖縄へと向かう。

 約2時間程度の空の旅、飛行機内は意外と静かだった。

 もっと喋り声が聞こえるかと思ったが流石に時と場所は弁えているらしい。

「研修旅行のレポート書くの面倒くさいね」

「たしかに。面倒かも」

 私は隣の席の友人と研修旅行が終わったら何をするのかという話をしていた。

 沖縄の地に飛行機が足をつけた瞬間、十人程度が機内で拍手をしていた。

 おそらく当校の生徒の仕業だろう。申し訳ない。
 

 沖縄到着後は安里協会までバスで移動である。

 安里教会というのは沖縄のカトリック教会で、研修旅行の開会式を行うつもりらしい。しおりにも書かれている。

 私たちは各クラスごと、バスに乗りこむ。

 バスには私たちと担任だけでなく、ガイドさんも同乗していた。

「右手に見えますのが沖縄都市モノレール線、通称ゆいレール……ゆいは琉球方言のゆいまーるから来ております」

 窓側に座っていた私は外を眺めてみる。

 たしかにモノレールは素晴らしい。けれど日本と中国を足して3で割ったような沖縄の景色がそれ以上の衝撃だった。

 高層ビルはなく、劣化した建築物が多いように感じる。が、所々に位置している真新しい建物が本土とは一風変わった景観を生み出していた。

 ここで陸上戦が行われ、多くの人が亡くなったのかと思うと形容し難い思いに襲われた。

「では私が、ゆいゆいゆい、ゆいゆいゆい、ユイマールと言った後、みなさんが続けてゆいゆいと言ってください」

 ガイドさんの上手な案内によってクラス全員の気分が高まった頃、バスが安里教会に到着した。

 安里教会の外装は沖縄のイメージとマッチしていて、歴史があるのだろうという印象を受ける。

 隣にはカトリックの幼稚園があった。

 修道女の像の横を通り、私たちは中へと案内される。

 中の礼拝場は外から見るよりも随分と広かった。

 全クラス(A、B、C、D、E、Fの六クラス、一クラス40人程度である)が礼拝場に集まり、再度、出欠が確認される。

「眠い」

「ね、飛行機の移動って疲れる」

 大阪の伊丹空港に現地集合だったこともあって、早起きだった生徒は多い。京都に住む生徒たちの大半は朝の4時、5時には起きていた。

 礼拝が始まり、讃美歌斉唱が終わった後の説教を目を瞑って過ごした生徒は少なくない。

 私もそのうちの一人である。

「沖縄は戦場にされ、捨て石にされました。でも政府に対する沖縄の加害はまだ終わっていない。ベトナム戦争の際は沖縄基地からアメリカの爆撃機が飛び立ったのね。最近のニュース見た? 今だってそう。戦争が起きたら真っ先に攻撃されて捨てられるのは米軍基地がある沖縄」

 というようなことを長々と話していたような気がする。

 眠っていたので詳しくは覚えていない。

 ただ、説教で話をしていた人物が誰だったのかは今でも覚えている。


「ではこれで終わります。私ね、船の免許持ってて、3日目の辺野古コースの人はまたその時に会いましょう」

 牧師であり、今回の事故で死亡した船の船長だった。

 午後3時。

 次の移動先は嘉数高台と上大謝名さくら公園。

 ここから早速、沖縄研修が始まった。

 派遣された沖縄平和ネットワークの平和ガイド講師(バスガイドとは別の人だった)が私たちに説明をしながら各場所を回っていく。

 バスの中でレシーバーを渡された私たちは片耳にガイド講師の声を聞きながら、疲れを纏わせた足を歩かせていた。

「……あそこの海に戦艦がズラーっと並んでね。アメリカ軍が攻めてきたわけ」

 高台での沖縄戦の説明は私たちが沖縄戦について一年間で習ってきたものとほぼ一致していた。

 ガイド講師が悲惨なことがあったという事実を重々しく語る中、遊びにきた子供が現代の平和を実感させてくれた。

 文字通りの平和学習であった。

 高台から降りたところでガイド講師の説明は過去から一転、現代へとつながる。

「オスプレイ飛行が……」

 話していた内容は詳しく覚えていない。ただ、米軍のヘリコプター着地の際の危険性について語っていたことは覚えている。

 沖縄が政府にかけあったところで米軍基地と周辺住民の安全保障の状況が何も変わらなかったことも。

「……はい、ここから先が普天間基地です。みんなここに座って」

 上大謝名さくら公園では私たちは芝生に座らされ、鉄製のフェンス越しに普天間基地の一部を覗いた。

 ガイド講師は切り抜いた新聞記事を提示し、

「この記事、わかりますか? 金属片が小学校に落ちたんです」

 と、米軍基地が街中にあることを起因とする被害や事故の説明をしていた。

 説明中、ボソッと隣から聞こえてきたのは「思想強いなぁ」の一言。

 これを思想が強いの一言で片付けるべきなのか、対処を何もしようとしない政府の沖縄への加害と捉えるべきなのか。

 私には判断しかねなかった。判断するにはあまりにも情報が少ないのである。

 ただ、ガイド講師から政府への『悲痛の叫びと非難』は言葉の節々から伝わってきた。

 午後5時。

 全てのプログラムを終えた私たちはホテルに到着した。

 夕食を食べ、1日の振り返りに1時間が設けられ、22:30の点呼を終えれば1日目は終わりだ。

 夜更かしをした人もいれば、すぐに寝た人もいるだろう。

 私は友人と蒙古タンメンを食べて笑い合う夜を過ごした。

今回はここまで!!

 

おやじはこの当事者生徒さんの日記を読み、まず真っ先に思った事は

 

校長以下先生がナンボ程狂って居っても、何も知らないで入学したとて、優秀な子は騙されないなクラッカークラッカー

 

 

 

京都で難関と言われる進学校に入る位だもの、、そりゃ優秀な人材ばかり

 

でしょうが、しかしその母体であって指導の要の先生が、クソクズ

 

ばかりってそれ私学運営としてダメだろがムカムカ

 

コレね、同志社国際単独の問題じゃ済まないよムキーッ

 

どれだけ言い訳しようがなんだろが 同志社

 

と言うブランド名を名乗る事が既に系列と言う事であって、事実

 

その系列高校からの推薦によって、何が優秀なのか知りませんがの

 

同志社大学の基準を満たす基準を同志社国際高校にも提示して居った

 

だろ?

 

でな今回、教育とは改めて問われそしてその系列である同志社国際高校

 

校長のクズさ加減を見て、同志社は何を基準でどの様な判断をするんだキョロキョロ

 

関係ない は通用しないしさせないぞこの野郎ムカムカ

 

 

 

この件に関し、おやじは鬼でも何でもなりますし、既に鬼なのかもシレンニヤリ