今回のパラオツアーの目的はペリリュー島訪問でした。

 

 

第二次世界大戦で米軍との激しい戦いの地となったペリリュー島。
1万人もの兵士が送られて生き残りはわずか34名。

終戦後2年間、それを知らずにいたそうです。


米軍は上陸から2〜3日で陥落させられると言っていた場所で
日本軍はそれまでとの闘い方を変えて
持久戦に持ち込めという指示のもと2ヶ月もの死闘を
繰り広げました。

 

ペリリュー島は船で1時間ほど。

 


海がめちゃくちゃきれいなんですが・・・

 

 

とにかく風がすごい!
そしてどちら側に座るかで日差しを浴び続けることになります・・・

 


私は日差しを浴び続けました。
ボートは外側ではなく内側(通路側)に座ることを強くオススメします(笑)
ビーチタオルを持参するように言われていたのでそれで日除けにしていました。



 

ようやく到着!

 


まずは1000人洞窟へ

 


1000人入れるという洞窟で複雑な構造で敵の攻撃をかわせる作りになっています。

 

 

中では当時の様子が垣間見られるものが沢山ありました。

少し入っただけでも大変な場所です。
ここで戦いながら過ごすなんて想像できずです。

 


博物館。

 


この十字路の滑走路がこのペリリュー島の戦いの理由です。
フィリピンを攻めるためにこのペリリュー島が要となることから
米軍は落としたい、日本軍は守りたい。


当初はすぐに落とせると思って攻めたわけですが
2ヶ月以上の長期戦となり、計画が狂ったため
米軍にとってペリリュー島は必要がない場所になっていました。
振り返ると米軍にとって無駄な戦いになったのでは?
という指摘をしている人も米国内にはいたようです。


零戦もあったり、そこに植物が生えている様子は
ラピュタの世界。

 


ここは司令本部だった場所。

 

 

 

 

 


鉄の重たい扉の奥は敵の砲弾にも耐えるようになってます。
あんな高い場所によくこんな重たい扉をつけたなと思います。

 

 


戦車も米軍は遠く離れた場所から
火炎放射器で火を当ててサウナ状態にして
中の人が出てくるようにしていたという話を聞きました。


今はのどかな風景ですが一つ一つの戦跡と
ガイドさんの話から今では
想像できない当時の状況が見えます。

 

 

 


この日もとにかく暑くて
少し外にいるとバテるような天気でした。

 


慰霊碑

 


 

 

 

 


ここから天皇皇后両陛下が行けなかった島に
向かって礼をして祈りを捧げたそうです。

 


 

 

 

 


ペリリュー神社

 



最終地点は司令塔となっていた中川大佐の最期の地へ。

 



ガイドさんがとても話が上手だったので
当時の様子が見えてくるようでした。
それが悲しさを倍増させるのですが・・・

 


こうして半日のペリリュー島ツアーが
終わり、今まで何となく遠かった戦争が
自分の中で解像度があがったように感じました。


終戦の間際での想像を絶する戦い。
当時の精鋭部隊が送り込まれたそうです。


電報が打てない状況になった時には
支援部隊を断るため(勝てる見込みがないと判断した)の
泳いで伝言を届けました。


14名の及びに長けた兵士達が選ばれ
40kmの距離にある場所に向かい
4名だけが生き残りました。


ほんの80年ほど前に同じ日本人が
この場所でそんな死闘を繰り広げていたとは
来るまで知りませんでした。


映画や漫画にもなっていたそうですが
私は知らず。
でも昨年直行便ができたこともあり
このペリリュー島ツアーは人気だそうです。


戦争がもう過去のものになっていますが
二度と同じ事が起きないようこの地を
多くの人が訪れてほしいと思います。


今回のツアーはガイドさんがとても
勉強熱心な方で話がわかりやすく
水もたくさん用意してくれて
密かに心配していたお手洗いも問題なく
暑さ以外は快適な旅になりました。



帰りはなんとPPRに直接船が到着。
疲れていたのでボートから降りてすぐに
ホテルの部屋に行けるのはめちゃくちゃ助かりました。

 


パラオ旅レポ