先日末、代理参拝『須磨寺』行って参りました!

報告遅くなりましたm(_ _)m

その日はとても良い日和でした晴れ✨️


このお寺は、源平合戦ゆかりの寺です。

一ノ谷の戦いで平敦盛と熊谷直実と一騎打ちのお話が有名で平家物語にも登場し能や歌舞伎などでも演じられています。

直実の実の息子と同年代の敵将を討たなくてはならない戦への想いが直実を出家へと向かわせた話です。


平敦盛の菩提寺としても有名です。


数年前からふと目に止まってこちらのインスタを見ておりました。


今までこのお寺の歴史について調べてこなかったのですが、ふと最近になって調べてみると源平合戦ゆかりの事を知り、そして、ある事を知ったのですびっくり

私の生まれ育った場所は、埼玉の熊谷だったからです!

その土地の名前は、『熊谷次郎直実』(くまがいじろうなおざね)という武将から付けられていて、熊谷次郎直実の生誕の地との事で、駅前にも銅像があって『熊谷寺』(ゆうこくじ)というお寺もあります。

中山道六十九次(木曽街道六十九次)のうち江戸から数えて8番目の宿場で『熊谷宿』でもあります。


かなり意味深で行かないといけないんだろうな~と思っていたら、やはりお呼びがかかりました💧


「今月中(10月)に来られよ」ご本尊の観音様からお呼び出しがかかりました💦

かなりハードスケジュールだったのですが頑張って決行することにしました(^^;)



そんなこんなで…

遠方でもあるのでタイトに行くことになりました。


『須磨寺』(すまでら)
本尊:聖観音菩薩

とても暖かな日差しの中行って参りました。

代理参拝の方もご一緒して良いとご許可いただきましたので、代理の皆様と共に要所を回って参りました✨️

山門には仁王様
門を潜る前に…
仁王様「厄を落として行け!!」
とまたもやセルフサービスとなりました。

最近は、山門で時々こう言われる事があります。
それをしないと通してくれないのです💦

セルフ厄落としをしてOKいただいて門を潜りました。

しっかりとお寺をお守りしております‼️


『手水舎』
五鈷のお水です✨️
こちらは湧き水との事です。
『千手観音菩薩』
代理の皆様とご挨拶しました。
池があって亀さんがたくさんいました🐢✨️
作り物の亀と見分けがつかないくらいでしたニヤリ
さぁ偽物の亀はどこでしょうか?!
天気がぽかぽか陽気だったので、みんなで甲羅干ししてました照れ

参道
葉っぱが色付いてきてました🍂

『本堂』『大師堂』
こちらで皆様のお言葉をお伝えして参りました。
お堂にはたくさんの観音様がいらしておりました。

聖観音様を中央に右から千手観音様、十一面観音様、准胝観音様がおられました。
観音様は、色々な名前が付いておりますが、私から話をする限りですが、皆さん連携が取れているのでどこの観音様でもそのまま通常の会話の続きがそのまま引き続いてスムーズにできます。

ちなみにお不動様は、何故か一尊ずつそれぞれになっているようです。

総称して観音様として代理参拝の皆様にはお言葉いただいておりますので、後程解釈も付けて送らせていただきます。
他の鑑定書も順番で製作しておりますので、少しお時間かかると思いますが、今月中までには完成させて送らせていただきたいと思います。
丁度よいタイミングで送られてくるのではと思います。しばらくお待ちくださいませm(_ _)m


『三重塔』大日如来

境内の色々な所も行ったのですが、「去れ!」(厳しい言い方ですが、参拝不要の箇所やタイムキーパーもあったりと上から急かされていました)と言われたりと、長時間いてはならない所もあったり、写真も撮ってはならない所もありました。
敦盛の首実験(討ち取った首の身元を調べる)ゆかりの松や敦盛の首を洗った池は目の前では撮れませんでした。

『敦盛首塚』
塚は写真を撮るなと言われましたのでお写真は無いです。
一先ず言われた事をして敦盛さん(さん付けで了承いただいております)とお話をするのかと思いきや一匹のオオスズメバチが現れて目の前を飛び交っておりました🐝…
しばらくしてもいなくならないどころか鞄に止まったり頭の周りをホバリングして、羽が起こす風で髪がなびく勢いの接近ぶりでしたびっくり💦
突如「去れ!!」
という敦盛さんか蜂からの声が聞こえてきました。
ゆっくりと後ずさりして撤退しました。
それ以上蜂は追いかけてきませんでした。
しばらく蜂との攻防戦がヒヤヒヤものでしたがうまく何事もなくいけました。
近くに蜂の巣があったのかもしれません。
皆さんもお気を付けて…

『五猿』

『きんぽとん童子』
先代住職が考えたもので、金太郎のように健康で、浦島太郎のように夢を持ち、さらに同寺に愛用の笛が収められている平敦盛のように音楽を愛する人に-。そんな願いを込め、「金浦敦」童子を考案したという事です。

『境内図』

『奥の院』弘法大師
時間があったので、山の上にある奥の院にも行って参りました。
こちらでも代理の方々とご挨拶して参りました。

山の参道行き帰りにも所々数々の仏様のお社がありました。

本堂まで戻ってきて、敦盛さんの青葉の笛が展示されてるとのことで宝物館にも寄ってきました。
先程の首塚ではほとんどお話が出来ませんでしたので、こちらでなのかなと思っておりました。

敦盛さんはとても落ち着いたご様子で、享年17才とのことですがそれ以上に大人びた感じでした。
宝物館では、当日の品々が直実さんの物も展示されていて、かなり貴重な物ばかりでした。
お写真は撮る気になれなかったのでありません。

敦盛さんの青葉の笛の前で呼び止められしばしお話をお伺い致しました。
外ではなくてこちらでお話をされたかったのかもしれません。

お話の内容は、皆さんに明かしても良いとのことで載せさせていただきます。
「よく聞け! 我は敦盛公 名高けき武将だが あ奴ら(源氏の兵)が放った矢が貫通し 我は気を失う寸前であった 海へ逃げた 我を迎え討った次郎直実は我の首を持ち帰った ただならぬ噂を耳に聞き付け我は運び去られる事となった だがひとたび黄泉の国となったら大したことでは無いと悟った この世ほど地獄はないと悟った こちらの世界はまどろむのにはまさに良いとこ あの世と恐れていたのが嘘のようよ 現世が一番と抜かす輩が多いが この世とはせい高き武将にとっては血で血を洗う戦場でしかない ここぞとばかりで敵の裏をかき そして己の裏をかかれると途端とひるもう だが安々としてはいられぬ 大事なのは物乞いよりも命乞い 人は人我は我 我は我の人生を生きたまで悔いはない よろしく頼もう この記事は(ブログに)載せてもよいぞ 皆の衆に知ってもらいたいからな あっはっはっ(笑) また逢おう!!」

解釈…
直実さんとの一騎打ちの前に矢に射られていた様で、なんとか気を持ち直して落馬を逃れ敗走したようです。 
敦盛の首と知った者達により首は色々と人手を渡ったのかもしれません。
生きている時は、あの世の事を恐れていたけど死んだ今ではそこまで恐れる所でもなく穏やかであるとのこと。現世の生きていた世界の方が恐ろしく地獄絵図の様に苦しみに満ちた世界と感じたようです。
武将にとっては、名声を馳せるには戦場の場でしかその頭角を表す機会はなく、皮肉にも戦場が手柄を立てる唯一の場面でもある好機となっているとのことです。
戦乱の世ではいかに相手の裏をかくか、逆に裏をかかれてひるんだり、それも生きる為を最優先と考え自分のみを守る事で精一杯であった。こんな人生であったが最善を尽くしこうなったまでの結果に後悔はないとの事です。
本当の敦盛さんの今の想いをみんなに知ってもらいたかったようです。

終始、敦盛さんは穏やかにお話されておりました。
『源平の庭』
お二方の一騎打ちのシーンを表してます。

宝物館を後にして敦盛さんにお礼を言って家路に向かう途中、入り口の傍にあって帰りに見ようとしていたこちらの庭…

ふと、向かって右端から出口に向かって歩いてくる時に「あれ?敦盛さんってどっちでしたっけ?」と思うと…

敦盛さん「我は奥ぞ!」

と教えてくれました。

山門辺りまでお見送りしてくれていたようでしたm(_ _)m

ありがとうございましたm(_ _)m



私が須磨寺でやる必要な事(詳細は載せてませんが…)は出来たのですが、このお寺自体色々あるようでかなりなものを感じ取りました。

一先ずそれは少しずつ解消していければ良いのかなと思いますし、必要な方が必要な時に何かしら施しをするのかもしれません。


まだまだ各地には何かしらやるべき必要性のあるものが多く残されているのだろうなとつくづく思います。



今回は、代理参拝ご参加いただいた方々ご一緒いただけましてありがとうございましたm(_ _)m


また、お一人ずつのお言葉お待ちくださいませm(_ _)m