母親という看板を下ろして自分という看板をあげてみませんか? | モダン金継ぎ【グルー継ぎ】はありのままの姿を認めて大切にするハンドメイド

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無理するのではなくて、頑張るのでもなくて、ゆるく、楽しく、それでいて、ちゃんと未来の子供達に今よりもっと良い社会を残したいと考えるためのブログです。



この三連休は、わんこと共に息子たちのいる関東へ遊びに行きました。

次男が独立して一年半。
長男からも次男の様子はちょくちょく聞いていましたが、
そろそろちゃんと家族みんなで揃って話そうよ。
と、長男の提案がありました。

次男のことがよほど心配できになる様子。

次男の仕事終わりを待ち、久々の家族全員揃っての、家族会議(笑)
息子たちが独立してからは、家族全員でゆっくり時間を持つことなど、なかなか難しかったので、楽しかったです。

そして、我が家の親子関係は少しずつですが、大きく変わってきていることが、顕著に現れた連休でした。

ふとそんな時に思ったのが
母親という肩書きについて。

女性は子供を産んだその瞬間から 当たり前のように【母親】という肩書きが最前面につく人が、ほとんどです。

望む望まないに関わらず、周りから【母親】という看板を背負わされます。

そして【母親】として当たり前の言動を求められる。

私は少し風変わりな子育てをしていたから
その【母親】という肩書きにとらわれずに、子育てをしてきましたが、
ほとんどの人はこの
世間が言う【母親】の看板を当たり前のように掲げてしまう。掲げさせられてしまう。

もちろん、子育てをしなければいけない時間の間は、それでも良いかもしれませんし、
それをよしと自分が考えている人も多いでしょう。
でも、もしも子供が成長して【母親】の存在がそれほど必要としなくなった時に
【自分】の肩書きで子供に求められる、必要とされる人になりたいと思いませんか?

もちろん子供にとってはいつまでも【母親】で間違いはなく、その存在は偉大です。
でも、自分にとったら?
【母親】としてよりも【自分】を大切にしたいと思うはず。

ずっと子供を子供扱いせず、1人の人間として接し、育ててきた私でも、
彼らにとっては、【母親】以外の何者でもなく。
だからこそ、独立した彼らにと、大人同士の関係もちゃんと持ちたい。
そう強く願っています。

【母親】としての看板を外した後、【自分】の看板をまた掲げてみる。
少しその選択を選んでみるのもよくないですか?