○○はこうあるべき という おしつけ
僕はこの考え方が強かったです。
まるで、算数の数式にたったひとつの答えがあるかのように考えていました。
たぶん、正解があるので楽だったと思います。
その理由は、親に認めてもらう、怒られなくて良い方法だったからだと思います。
国語の授業のときに、主人公は今どんな気持ち?
と言われても…僕はこう思うとテストで書き込んでも、☓だったことから嫌になりました。
また、僕の気持ちは誰が理解してくれるの?という体験もあったからです。
それは、上に書いたテストでもあり、小さいときに父親によく言われた「鼻が詰まっていてうるさい!
」、母親に言われてた「なんでできないの? 〇〇が、悪い」から、来ていたと思います。
僕自身では、言われている意味が分からなかった、もしくは、そう思わなかったのだと思います。
どうしょうもなく理不尽だ、と思って大人に相談しても、黙って話を聞くんだよ。
何も反論してはいけないんだよ!
という回答でした。
今思い返すと、毎回、一人で反省会をしてました。
相手が悪いというところから始まって、 次は自分が 悪い 存在しないほうが良いと転げ落ちていきます。
だからこうなったんだ というスパイラルにひたすら ひたすら落ちていきました。
僕はそうなんだ!って自己暗示を僕が僕にかけた
のかもしれません。それとも、考えることを放棄したのかもしれません。
ですが、全く違う場に行ったときに、
あれ?おしつけられない!
という体験をしました。
ここから、水前寺清子さんの歌詞にある
3歩進んで2歩さがる〜
のように、ホントにホントに少し前に出れたことから、だんだんと外れて来た気がします。