得意なこと。

不得意なこと。

それが誰よりも顕著で凸凹な息子。

そんな息子が2026年に中学受験をしました。

中学受験の終えて、また日常に。





蹴るという言葉の背景にあるもの

「〇〇中を蹴って、△△中にした。」

という言い方はしないでね。

これはとても大事なことだから覚えておいて。


そう息子に伝えました。


「みんな言ってるよ。」

と返す息子に


「そうね。大人でも言ってる人はいるからね。でも、人は人。もしね、あなたが行きたかったA中学校に対して『A中学校を蹴って、B中学校に行く』という言い方をされたらどう?」


「別に。それで俺がそこの枠に入れるならありがとう!って感じやわ。」

と息子。



「そうねぇ…。まぁ、そうなんだけどさ。でもね、そこをわざわざそんな風に言わなくてもいいと思わない?『A中学校を蹴る』と言わなくても、『B中学校に行くことにしました』だけでよくない?」


「みんな同じように頑張ってきたわけじゃない?当日の体調などで思うように力が発揮できなくて悔しい思いをしてる人だっている。別の日にテストをしたら、もしかしたらその人は合格するかもしれないという接戦だったりするの。」


「みんな行きたい気持ちは同じだけど、残念ながら全員受け入れることができないから、テストをしてラインを引くわけなんだけど。その学校に行くことができるバトンを、他の必要な誰かに『はいどうぞ』と渡すイメージを持ってもらいたいんだよ。わかる?」


「だから、これからもそういう場面では、決して「蹴る」って言わないで欲しいな。そういう気持ちの分かる子になって欲しいな。」


という話をしました。


多分、話の1割くらいしか通じてないと思うけど。


悔しい気持ちも。

嬉しい気持ちも。

自分だけではなくて、相手にもあると知って欲しい。


些細なことだけど。


何となくでもいいから、頭の片隅においといてもらえたらな。