小学一年生、発達障がいを疑われている三男。

公文を始めて3年目になります。
学校でもやらなきゃいけないことができなくて、先生も支援コーディネーターの先生も私も、一つ一つやれる方向へと導いているところです。

そんな三男が、毎日こつこつやらないといけないことをやるわけがない。

自分がやりたくないことなら尚更。

毎日大騒ぎしてひっくり返っているし、それをやらせるのは至難の技。

そこまでしてやらせないといけないものか、疑問にも感じています。

私もしんどくなってきたので、やらないなら公文のお教室でやってもらえばいいやと思って送り出した日のこと。
先生から電話がなりました。

「三男くんが座り込んで帰ってくれず困っています!今すぐ迎えに来てください!」
と、かなり感情的に怒っていらっしゃる。

迎えにいくと
「宿題をやらせるように」とこんこんと注意をうけました。

大騒ぎして大変だということをお伝えしても
「こういうお子さんだからこそ、やらせないとだめです!」
と。

そうなんだろうか。
やりたくないものを無理やりやらせるのっていいのかな。

やる気がない算数は全然進まず1年。
それを繰り返す意味はなんだろう。
問題は解けているけど、筆算の桁を揃えて書けてないからやり直し!と返ってくる。

もはや、三男は問題も答えも覚えてしまっていて、文章問題なんかは問題を読まずに式や答えを書いている状態(だって、1年間も同じ問題ばかりやっているんだもの…)

そんなことを、1年繰り返し三男も嫌になってきているのもわかる。
「答えが合ってるのに汚いからダメだって言われる」
と。

だから何度も書き直し力尽きている。

「算数なんやし、そこまでキレイにかかなくてもいいと思うよ」
と私が言ってもだめ。

「先生に言われた!」
と言って、キレイな数字が書けるまで書き直し続けている。

進まない足踏み状態の算数を続ける必要性。
問題を見ないでも答えがわかるほどになっている算数をやる意味。
次をそこまでキレイに書かなきゃいかないのか。

これらを尋ねても
「必要なことです!進まなくてもやることは意味があります!字についてはこの子の勝手なこだわりがこうなっているんでしょう?」
と。


わからないな。
なんか、わからない。

公文のお陰で文章を読み解く力も漢字も学習させていただき、読める本も増えました。
本が好きな三男にとってこれはとても喜ばしいこと。
なので、とても間者もしています。

でも、出来ないことへの対応が酷くないかな。

発達に障がいがあると公文は難しいのかなと考えてしまいます。