他言語の習得に使える考え方 ”神様世界の意思疎通” | 順其自然

順其自然

興味があるのは新しい時代の子育て・教育、中医学、資産運用などなど。趣味はスキー。釣りもやりたい。本業は中国語翻訳(雇われ)。海外からの留学生のホストファミリー経験あり。自由な人生を追求してます。

このかたのブログを読んでいて思い出したのですが、母語ではない言語の勉強にも実は使えると思うんですよ!この考え方。

桜井さんは、神様と「話す」ときには言語を介さない、「思考」そのもののやりとりだと書かれています。

他の人にその体験を伝えるときに、後から一生懸命言葉にするような感じだといいます。

私もその感覚良く分かります。別に私が神様と話すわけではありません。例えば、「◯◯どうだった?」などと漠然としたことを聞かれたとき、何から話そうか考えるときはその作業を行っているはずです(あっ別に私言語学者でもないのでご了承ください)。

おそらく赤ちゃんから大人になるにかけての言葉の習得もそのように行われているのだと思いますが、年齢を重ねるうちに言葉の背後の「思考」を忘れてしまうのでしょう(ここでは桜井さんが思考と書かれていたので便宜上「思考」と呼ぶことにします)。やがて、言葉そのものに思考を限定されるようになることも多くなります。そして、そのまま他言語の習得をしようとすることもけっこう多い。

数年前、知人宅に英語圏の子がホームステイに来たのですが、「朝、"Let's happen!って言っても全然起きなかった」と言っていました。∑(゚Д゚)

そりゃそうだ…「起床しなさい」ならWake upかGet up って言わなきゃ。happenは、起きるは起きるでも物事が起きるって意味だよ(そもそもlet us happen自体、意味からして成り立たない文ですが)って思った(言わなかったけど)けど、おそらく機械翻訳で「起きる」とだけ入力して出てきた結果を使ったのでしょう。

まあ、言葉と対応する背後の「思考」が言語や文化によって違うということはよく知られていますが、その違いをこれまた言葉で説明しようとすると結構長くなったりします。本当は「思考」に戻っちゃう方が楽なのです(´∀`=)

通訳や翻訳を少しでもしたことのある人もこの感覚はなじみがあるんじゃないかなーと思います。