あの日から81回目の8月6日。
今年も8:15に黙祷し手を合わせました。
子供の頃からの毎年のルーティン。
今年の式典には5万人も集まったのだとか。
思い通りにならないと【核】をチラつかせる国からは5年連続で来られません。
まぁ、仕方ない。大統領に手配書が回ってるし。
でも、時々思う事もあるんよ。
戦術核を実際に使われた国は、国際裁判所に訴えてもええんと違うんか?
…………って。
高市さんも来てましたが、彼女だけでなく、コレまでも首相のスピーチはおざなりで。。。。(ガースーはかなり酷かったけど‥笑)
まぁ‥‥‥‥日本の政治家としては、同盟国に対してなかなか言えない事も理解しています。
ワシの大叔父にあたる詩人で作家の民喜さんの詩に、
民喜の兄で、ワシの祖父、守夫が曲を付けた歌。
失礼ながら全く存じ上げなかったのですが、乗松恵美さんというソプラノ歌手が歌唱して下さってました。
映像で出てくる守夫の4男文彦の絵ですが、コレは守夫が描いたモノで、
子供の頃に祖父母の家に行くと、飾ってあり、幼い自分には恐ろしい絵と映ったものです。
祖母によれば、こんなに穏やかな死に顔ではなく、描写がアレですが……………
腹が裂け、内蔵が飛び散っており、顔も判別出来なかったとの事で、自宅に急ぐ祖父は、遺体の爪を剥がし………履いていたズボンのベルトを持ち帰ったのだとか。
自宅では、家屋は全壊。門柱だけが残っており、家政婦さんが、ワシの母親を抱いて、姉(伯母)の手を引いて呆然と立っていたとの事。母は右手に大火傷を負っていました。
親父も広島の人間なのですが、
その頃は半島で暮らしていた為、被爆はしておらず………。
つい先日の事ですが。
『お母ちゃんは原爆の後遺症で何度も癌を患っとんたんぞ』
等と親父に言われました。
その事については解りません。
生前、余りにも癌の手術を繰り返すオカンに、
その事を聞いたけど、『さぁ、どうじゃろうねぇ』なんてはぐらかされてばかりでしたので。
今日は朝から、肺気腫の定期検診でした。
冒頭に書いた黙祷を終え、ビビメロとヨゾヒヨにご飯をあげてから出かけました。
呼吸不全で死にかける経験もしたし、病院通いも欠かせんけど。
生まれてきたのだから、生きていたいんよな。
簡単に死ぬんは………………
申し訳なかろうが。


