息子は17歳になりました。

思春期真っただ中。

12年前の私は、発達障害という物に

どっぷりとハマっていた気がします。

 

色んな本も読んだ。

積み重なっていく知識は私を勘違いさせ

まるで、そこらの発達専門医よりもベテランに

なってしまったような気持ちになっておりました。

 

でも、あの時の自分は恥ずかしいと思わない。

だってさ、沢山病院掛け持ちしたけど

年々息子への理解を示している姿勢は

私が息子の周りの中で最もてっぺんの存在だったから。

 

たった一人の自閉症でも知的障害でも

ADHDが混じりこんでいる子だったとしても

同じ病名や同じ発達支援を受けている子とは

息子は世界中の中のたった1本の花でしかなかった。

(勿論、同じ病名の子も息子と同じく発達支援受けてる

隣で座ってた子供達もたった1本の花だった。)

当時の私は、息子に関してはてっぺん目指してた。

勿論、てっぺんだった。

 

あれから、1週まわって

息子は色々な事が出来るようになりました。

勿論、新たに悩ませる事や

息子にとって困難な社会も待っておりました。

 

だけど、12年経っても変わらない大切な事は

 

第一が、息子の視線の先には何があるのかを

私がそれを追い、気が付き理解する事。

 

最近、息子にとても成長を思わせる事が

学校であったそう。

息子に何があったのか?

何で今そんなにさせてしまうのか。

 

息子の視線の先を注目している事、

ここ12年。

 

何がそうさせているのか、分かっているつもりです。

彼の視線にあるのは、コレクターしたい玩具。

そして、年始に私と出かける電車の旅を探す事。

(片道2時間だったら良いよと伝えている)

 

大人だってありますよね?

 

〇〇が欲しいから、節約する。

〇〇が見たいから、早く帰る。

〇〇に行く予定だから、やるべき事を片付ける。

 

その〇〇がある時は、人はいつもより無茶をする。

 

〇〇は、急に横にいる人が気が付く事ではない。

その〇〇に気が付く前のその人の視線をずーっと

眺めていれば、その〇の中の文字がボンヤリ透けて読める。

 

発達支援というものは、いったい何なのでしょう。

これまで、私は色んな支援を見てきたり

それを面白い物として、勉強していたり

息子だけではもったいないので、

少しでもおすそ分けしたくてブログに残したり

自分の人生にも役立たせたいと野望を抱いてた。

 

共通する物があったり、参考になる物も

それぞれの子供達にあった物もあったとは思うけど。

一番は視線の先だった。

 

※この場合の視線は、言語ではなく非言語的な物や

具体的でもなく抽象的な意味にととらえてもらえたら幸いです。

うちの子もそうだけど障害持ってる子は視線は矢の様ではなく

どこか宙に浮いているから。

その視線が目で案内してくれる子もいれば

空想上のキャンパスの上を手で描く子もいたり

それが散らばさせた様な独り言で視線を示す子もいる。

うちの子の視線がまさにそのタイプで、

視線の先を示す息子の方位磁石は

まるでパズルや型はめしている気分でした。

 

あれから、12年以上も経つんだなぁ~。

 

このまんまやってこうと思います。