息子は療育教室という物を

ある程度の時期になってから

限られた場所しか行ってない。

 

私が療育に関して、疑問を持ったのは

障害者支援が年々、教えがコロロ頃変わっているから。

2行で簡単に書くと

 

「やりたくない」をじゃあおしまいと共感するのが

息子が小さかった頃の障碍者支援。

 

その10年前は、「やりたくない」を調教式に様に

教えこむのが支援。

 

そして、息子の下の世代は「やりたくない」を

論理的に本人に解りやすく教えるのが支援。

 

調べていた私も混乱するのだから、

幅広い年代の障害もった大人を受け入れる

支援先はもっと混乱するよね?と思った。

 

そんな中での療育なのだから、厳しい。

また、視覚的な物や認知的な物は

四角い板の中で充分勉強する事も出来る。

 

一番大事なのは、情動と同じ部分で働く脳の部分の

認識であり知識と自己防衛からの反応。

 

これが、大型交差点で働く信号機の様に

脳内で動こうとするのならば、

あとは知的障害があろうが無かろうが

自閉症やADHD的な面が強かろうが弱かろうが

何の問題もないとは思うんだ。

 

 

知りあいのお子さんが

年々癇癪が強くなったらしい、

私はそのお子さんを見てるけど、

今でも通ってるあそこの教室は大丈夫なの?と

ちょっと心配になってしまったわ。

 

 

もう、閉鎖されているブログですが

療育施設に通わせて失敗したという気持ちを

書いたお母さんのブロガーがいました。

 

私は一時期、

STやOTの先生か息子が受けていている支援を

先生はいったい、この子に何を目的で

今支援をしようとしているのか?

というのを、訪ねたりメモしながら勉強し

また、そういった資格の勉強してた。

 

その中で、些細な切っ掛けで

私は神経心理の先生の講座に出会い、

なんか、今まで色々と培ってたと思ってた

自分の発達支援の理解がぶっ飛んでしまったのですよ。

 

大切なのは、その子の行動や認知ではなく

その子という存在を、様々な部品を眺めるように

こちら側は理解して知っていく事で

その子に見合った、練習や広げる事や

これからではなく、今、習得するべき事を

考えるべきだと。

 

そこからの私は、馬鹿みたいに

子供と色々無駄な時間を過ごし冒険してきた。

心の安定があってこそのから一段登れる

階段が見えてくるのを理解した、息子の少年期。

 

療育ってのは、これでいいんだと思った。

確かに、世の中には素晴らしい先生が

星の様にいるし

親以上に、その子を夢見て頭を抱えて

支援している先生がいるのも知ってる。

 

でも、その子に合わなければ

その一歩は、時には苦しい時もあるんだよ。

 

多分、それを言いたかったのが

療育を後悔したお母さんのブログの

意味なんだろうな今思う。

 

あの人は元気なんだろうか。