いや~受験生の母親になるとは。
私は成績が凸凹だったのと、学習障害なので
頭の悪い私立高校には、ストレート合格でした。
私の母も受験生なのに子育てが
楽そうだったのを覚えています。
うちの学校の先生、
子供達に変な所が得意なのは、
頭の悪い学校の先生ならではの経験で
承知しているらしく。
特に私立の先生となると、
そこの学校を長く見ているので経験豊か。
そういう子達を面白がって可愛がる姿は、
今の、LD障害を持った子供達への教育は
先駆けと言ってもいいとは思う。
一応ね?という高校用の教科書と
本屋で売ってそうな義務教育のやり直し教材。
中学生時代ついて来れなかった子が、
今更ながら理解できている姿を
私はとても覚えている。
その学校の子供達は
授業でもそうだけど、
作業面でも体操でも、音楽でも
才能はバラバラだったとは思う。
今振り返ると、私はあの学校で
苦手な物は赤点取ってたけど
得意分野では優秀だったとは思う。
凸凹って、こういう子供の事を言うのでしょうね。
発達障害の子供はまるで、コントの様だった。
またある場面では、
まるで東田直樹さんみたいに、
「だって、ずっと座ってるのが嫌なんだもん」と
その時の授業にはそぐわない態度を
言葉で上手に表現して
授業中プラプラ教室を歩いている人もいた。
勿論、教室では誰も文句言わなかったし
穏やかに脱線する人もいた。
そういう子があまりにも多かったから。
自閉症の子供も今振り返ると多く
友達同士で遊ばずに、
好きな物に没頭している子供がとても多かった。
文化祭では、バラエティでたまたま来た家族たちが
驚くほどの物だったわ。
面白かったのは、それでも授業崩壊は無く
了承の上で授業がどんどん進んでいくという事。
ただ一人、教員の中で忘れられないのは
私がとても苦手分野だったのに珍しく
上手く勉強を完了させた
国語の先生だったのです。
その先生の優しい顔は今でも残像に残っていて、
教室での姿は、ちょっと優しいバージョンの
いかりや長介みたいだった。
国語の先生は、
何故か子供達の興味を引き出すのが上手く
単科の先生なのに、
担任程はテンポは良くないがノート文通して
自分の世界に引き込むのが上手かったとは思う。
授業には必ず、歴代の凄い人物の話を組み込み
その人がどう他人と比べて凄かったのかを
雑談程度に教え、
「みなさんもどうか、●●●を発見しみてください。
僕も楽しみにしています。」
と、子供達それぞれの才能を信じてくれている人だったわ。
あれが、多分・・・LD教育の中で大切な
心臓部分なのかなとは思う。
残念ながら、その先生を受け継ぐような教師になれる子は
あの学校にはいないけどね。
何しろ、頭の悪い学校だったから。
しかし、美味い先生だと
アウトプットをシェアする場所は
どこかしらあったわ。
多分、あの学校が成績あがったのは
あの学校ならではの先生達の蓄積だったんだと思う。
今ではインクルーシブ教育の中で
当たり前になったけどね。
その場面さえあれば、
予定より上手くいくんだとは思う。
私はあの学校で長く付き合える友達とは
出会わなかったけど、
今、この経験をこのブログで残せる事が
多かったので良かった学校なんだとは思う。
もしかしたら、発達障害は遺伝性なので
今育児をしていている同級生のうち
半数は発達障害の子供を産んでるとは思う。
あの学校の経験を活かして感謝してるんじゃないかな。