昨日のブログには、

当事者という事で自分がカミングアウトする事により

周囲が驚くというエピソードを書きました。

 

実は、今回が初めてではないのですよ。

 

息子の病院でもありました。

 

息子の診療所で

「私も自閉症なのです。

自分の特性や自分の経験を踏まえて

息子には少しでもと思いながら子育てしてます。」

 

って、いうと・・・

「お母さん、そんなそんな」

って言われてみたり。

 

「どこで分かったのですか?

いつ頃から言われたのですか?」

って質問されたりした事もあったのですよ。

 

ええやん、なんだってさ。

一番大切な事はそこじゃあらへん。

 

子供がいつ頃、発達障害を持っていると

気が付かれて、

周りの大人達はその子に対して

寄り添ったり、

大人達はその子を知ろうとしたり、

その子に見合った環境や頑張る場所を

作ろうと思いましたか?

 

っていうのが大事なんだよ。

 

 

息子はどちらかというと、自閉が強い。

 

一方の私は、自閉症もあるけど

息子より若干ADHD度が高い。

 

 

私は、どんな所で自分のASD度を利用するか?

もしくは、見なくて良い事と見るべき事を

調整するか?

 

どんな所で、どんな時にADHD度を利用して

どういう時に自分を取り戻したり冷静になり

何を基準にするべきかのコツを作るか。

 

つまり、自分の研究をいかに楽しむか。

 

そして、自分の特性と出会う事で

どれだけ一つの娯楽や仕事に自閉症の特性を活かして

を楽しんでみたり凝ってみたり

他人が面倒になったり、先を考えて厄介そうな事も

ADHDの特性を煽りまくって楽しめんでいるか。

 

多分、今の生活で疲れがドーンと面白い位にやってきて

まるでスポーツした後の様に心地よく感じた時、

もしも特性が無かったら、今の自分は無かったと思う。

 

 

同じ人生を過ごすのならば

今の私として作り出した親には感謝したいなと思う。

その楽しく過ごしていく方法のコツを

本人が自分の研究出来るようにして

他人との生活を研究していくのが

本来の療育なのかな?と何となく思う。