ここ最近、とあるブロガーさんが
すんごい怒ってて、半端ない更新をしているそうな。
振り返ってみたら、私も10年位前は状況は違うけど
ものすごい怒っている人が私にもいて
野犬の様になってたとは思う。
すんごい許せなかったの。
勿論、今も許せない程に怒ってるんだけど
今では違う事を考えているので
基本的には怒っていない。
確かに、その頃の私は
ほぼ私のやらなければならない事に
怒りの矛先と携わる事もあったからかもしれないわ。
有名人ブロガーさんは今がそういう時なのでしょうね。
ネットで話題になっているので、賛否両論あるんだろうけど
誰にでも、そういう時期ってのはあるよね。
たまたま、忘れているだけで。
その怒りの表現が自分でも難しい位に怒っている人も
いるとは思うんだ。
でも、誰にもそれを何とかしようとしたり
その人に当たる権利はないよね。
勿論、その人に対して賛否両論するのは勝手にどうぞだけど。
ここ最近、NHKの大河ドラマの動画を見ていてさ
あの人達はものすごい怒っている演技をしていて
当時のその人も、ものすごい怒ってるんだけど
年齢的には、その人が元気な時期から死期が迫る年齢まで
幅広いのよね。
って事はですよ。
人ってのは、何歳になっても何年に経とうとも
その本人が、自分の気持ちを集中し続ける限り
永遠とそのテンションでいられるという事なのよね。
まぁ・・・・日本独自なのもあるかもしれないけど。
50を過ぎて、自分の人生のターンを曲がってる所で
怒っている人や、怒っている人の歴史ドラマを見て、
「私の体は滅びようとも、自分の情動は永遠の若さでいられる」
って思うと、ちょっと嬉しくなったわ。
私だけではない、他の人達もみんな。
人って、いくらでも人でいられるのね。
全ての人が平等に、時間を進むのならば
その人の情動ポテンシャルもエネルギーも平等。
ワクワクしちゃう。
多分、普通の子育てをしてきた人には分からないんだろうけど
「お友達と遊ぶというよりもお友達の存在に気が付く」
という事の些細な、幼少の一歩が
どれだけ大変な事かを、経験している親達にとっては
他人に対して、思いやったり怒るという事が
どれだけの凄い事か。
幸い、ASDやADHDの子供達は
9割の子供が、年数を経つと周囲の存在に気が付けるようになれる。
勿論、その9割の中に入れなかった子供には
9割に入れた人達が、愛情を伝え続けなければいけないという
責任はなくとも義務があると思うわ。
ちょっと話が変化球してしまいました。
歴史っていうのは、変な所で役に立つわ。