息子と一緒にいると、ある部分だけ
時間が止まっているんです。
障害を持った親御さんなら、当たり前の事なんですよ。
でも、それはとても貴重な経験の日々なのです。
・自分はもろいけど、
だから他人を尊重する。
(自分が出来ていても出来ない人を馬鹿にせず、
それぞれの特性や特徴持った人達が集まり
そこから初めて社会へとなっていく)
・頑張りたい、
頑張らなければならないのが自我と承認。
(生きていく為には社会を学ばなければならない。
自分には必ずその社会で仕事や役割がある。)
・他人からの優しさと自分の居場所は
当たり前ではないし、権利ではなく義務である。
(自分の事は出来る限り頑張り、
そして他人へ気遣う努力する。
それが出来なくても出来る限りの努力を受け入れる。)
ざっと今、出勤前に髪の毛を乾かしながら
見つけられるのはこんな感じw
1つめは、社会と機能(皮膚感覚や感覚過敏かな?)
2つめは、社会と感情(モニタリングと前頭野あたり?)
3つめあたりに社会と行動(どこだろ?分からん。)
人の身体や感情や、
不の気持ちや問題行動等も
全て無駄な物はないと思っています。
例えば、アンコウの体は無駄な物がなく
全て美味しく調理出来るように。
自分が無駄に思ったり、
他人が無駄に思われていても
無駄な物はないんじゃないかな?と
年々付け足されていくように教えられていくのが、
親の私達。
もうちょっと、簡単な言葉に変えると
幼稚園が園で教わるものであり
成長期にかったるくなり
大人になった時にモラルとして受け入れられるかで
社会で孤立されるか、上手く乗り越えられるかに
なっていくと思うんだけど。
この大切な物って、結構シンプルな筈なのに
出来なくなってしまったり
成長期の子の様にかったるくなったり
利便性で都合よくスルーしたり、
またいで二歩先に進もうとしたりするんです。
それが、当たり前にあるどこにでもある社会。
んだけど、結局は
この幼稚園生のような教えを大切にする事で
自分の軸や周りにある社会が明るくなれる。
同じ頑張りでも、ただ頑張れば良いって訳ではなく
良かれと思って頑張り方が間違えると、
社会ってブラック化してしまうでしょ?
集団心理って奴で、
誰かを排除したり煽ったりもする。
もちろん、自分も排除されたり煽られたり。
この僅かな違いや、僅かなヒビやズレを
上手く曲線の中でゴールまで乗り越えられ為に
とても必要なのが、この園ルールの砂場社会みたいな物で。
これを、永遠とコツコツと教えなければならないのが
私達の育児。
24時間で記憶を失う人の
恋愛映画やドラマがあるけど
障害持った子供達は何度も教えて植え付けて
行かなければならないのと
彼等は健常の成長期の子の様に
かったるくならないから教え続けられるんですよ。
だから、親は当たり前の教育を崩さないでいられるの。
(こういった物が障害者が障害者差別もあるんだろうけど
教えもアンコウの体みたいに無駄な物は無い)
今、私も仕事しながらの生活なので
この当たり前の日々は
社会では新鮮なんだなぁ~と気が付きました。
職場でのつまづきも、このモラルで居れば
自分の居場所が、本来あるべき道へと進み治せるんです。
まるで幼稚園の砂場社会での派閥や戦国みたいな風景が
園ルールで円滑にいくように。
多分コレが、障害持った方々の役割なのかな。
今の職場で3年越えた時に、改めて考える事と出会い
この役割ある人の存在に感謝しています。
もちろん、私も発達障害だけどw
育て辛い子を育てているママには宝が目の前にあるのを
誇り持っててほしい。