「障害という名に頼らない」

 

今の私に言える事です。

諦めるという言葉とは別に、

子供の特別さに〇〇障害という名前が見つかり

そこで〇〇障害という看板が出来た事で

親はインターネットを検索しすぎて滅入る事もあるけど

時には、とても楽になったり、ほっとしたりもする。

 

これが、親にとっての子供の障害名と需要。

諦めとは違い、区別となるもの。

そして処方箋のように療育や訓練、または方法を

与えるよになると思います。

コレを続けていくとね、

親ってのはやっぱり見極めてしまったり

目が肥えていくんですよね。

 

よく、療育施設の先生が言っていました。

親が子供の発達診断シートを書く事って

幼児期ではよくある事なのですが

最初の方よりも年数超えていく方が徐々に点数が

低くなるそう。

それも、親が子供の何が出来なくて

今は何が必要となると生きやすくなるか?

もしくは何だったら子供は取り組みやすいか?を

解ってしまうからなんですよね。

 

この幼児期が進んでいくと、次に来るのは

親の固定観念。

狭き世界だったり、あまりプライベートで

グループレッスンやグループワークなんて

よっぽど幸運の人しかいません。

なので、視野が広がるのは微々たるもので

知識や知りたい勉強や方向性のみが

増えていくだけになってしまうんです。

当たり前ですよね、自閉症なんて何万通り。

ADHDも何万通り。

そして知的障害の高い子から低い子まで。

経験や周囲環境だって違う。

視野が広げられるようになるのは難しい。

 

目が肥えて、経験が厚くなり

賢くなっていくママがどうなっていくかというと

子供への固定観念。

 

 

例えば、子供の謙譲の人では見られない

行動を見ると

そこから「障害」「子供ならでは」との区別が

難しくなるんですよね。

 

最近の息子は

「ほらっ、●●するから止めなさい」

と言っても、

なかなかそれを手放せなかったりするんですよ。

 

そこから、自閉症症状や認知力を思うと

頭が蒸れそう。

こういう時は、普通に怒っていいんですよ。

論破してもダメ。

こういうのって、10代に入る子ならよくある事。

 

健常の子供を持つママと同じイライラを

目の前にしているのですよ。

私達がよくいく

“育児コーナーからちょっと離れた

心理コーナー近くの発達の本”

ここでは得られなかった情報・・・まさにこれ。

 

 

どこまでが、障害で

どこまでが、子供ならではなのか。

 

今まで行動監査しながら

黒子のように支援してきた私達が

感情的に教えた方が伝わるパターンを

気が付かないまま終えてしまう事もあるという。

 

ひよこの性別士みたいですが

経験の積んでいってる子供を持つ人は

必要な目なのかもしれませんね。

 

ムズイ。。