一人で頑張りすぎないでとか、
休みながらでも・・という優しさの言葉が
時には、棘のように感じる事もありますよね。
私も実はそうです。
余裕の無い時にとくに思う。
ただ、余裕がないだけならば大丈夫なんだけど
余裕がないんだけど余裕の顔をしていたいと
そう思っちゃうんだよな~。
でもね、実は投げかけられる言葉には
それぞれに魂があるのです。
たとえばね、
お米の中には7人の神様がいる。
だからお米を残してしまうと、神様たちの目が潰れてしまう
なので残してはいけないという話。
子供だった頃の私達は必死に食べていて
いつしか自分たちの子供にいただきますという言葉を
出しなさいという教育ができるようになれる。
それみたいに、
私達が大変な時に浴びる言葉は気休めではないのです。
耳をふさぎたくなる時もあるけれど
そういう時は指の隙間から聞けばいい(笑)
なんで、こんな話になるかというと。
うちの子はいまだに朝が苦手なのです。
それで、自分で着替えて自分で用意して出かけるなんて
ありえなくてね。
未だに幼稚園の年少児みたいに、お母さんに
準備してもらってるのよね。
そりゃ、出来ない子じゃないんだからやらせた方がいいけど
無理にやらせるならば、母親の私がやった方が楽(笑)
でも、私はどんなに先生方から言われても
しばらくは朝は子供を着せ替え人形のようにして
いいと思ってます。
それはね、最近私が学校の準備した物をポーンポーンと
自分で1~2個入れた事があったから。
彼はちゃーんと、お母さんは忘れっぽいので
上履きや体操着がないと困るのを分かってるからなんです。
だから、自分でリュックに入れることが出来たのです。
自分で準備するという意図を少しでも彼なりに働いたのなら
超合格☆彡
学校に行くという事は、
子供にとっては最大の仕事であり
充分な罰を受けているようなものなのよ。
だから、これ以上は親ってのは攻める事はしてはいけない。
彼は自由という物から逃れて集団の場に挑むという罰を
受けてるんだから。
なのでそこから
学校の準備ができない事や
なかなか起きれない事や、
ご飯や歯を磨けなかった事を
付け足す事はしてはならないと思うのよ。
それって、サラリーマンの夫に
スーツを自分で用意して
ご飯を自分でよそって食べて
ゴミ出ししてから会社に行かせるようなものなのよ。
そんなの夫の出来るわけない。
なのに、どうして子供にはできてしまうのか?
朝の母親からの声の海鳴りってのは子供にとっては
これは集団に入る為の教育という物ではなく、
母親からの試練なのよね。
なので、私はこれからも朝は着せ替え人形になってもらい
彼が必要性を感じて意欲に包まれた上で
自分から準備したくなった時だけ頑張ってもらい
学校に挑んでもらおうと思っています。
子供に期待しなくていいから楽なので、
送り出すのに一苦労しているママにはおすすめです。
出来ない事は恥ずかしい事じゃない。
ってさ、子供によく投げかけられる言葉なんだけど
あの言葉で一番必要なのは、お母さんの方なんだよね。
優しい言葉がすんなり入る時は、どうぞ受け取ってください。
しかし、その優しい言葉が苦しく感じる時は
耳でふさいで指の隙間から聞いてみてください。
きっと、今よりも楽になると思う。
はぁ~新学期~
学校始まってくれると楽だけど
でも朝は毎度辛い。