1年に1度ある、記念日である子供の誕生日。
その度に、子供が生まれた事を思い出すのですが。
去年はどんな思いをしていたのか忘れましたが、
今年はふと違う事を思い出しました。
子供を出産する前にやった事、それは遺言ww
そうか、私はあの時に遺言を書いてたんだという事。
母として、雲行きが良くない事を分ってたのかな?
当時私が苦しんだのは24時間。
普通の出産よりも長かったと思います。
死ぬほど苦しかった。
当時は、苦しんでいる自分を甘えてるなーと思いましたが
今になると、ビックリ。
療育施設で帝王切開の多い事多い事。
それは、帝王切開が悪いのではなく
生まれる時点で、子供は回転して出てくる力が無かったと言う事。
そうか、発達障害だもんなぁ・・・って感想です。
今の育児は、大変ではありませんが
忙しい毎日。
手のかかる子の母親となると、
巡り巡って、私という物がうっすらとしてしまいます。
それに、少し空しくなる自分。
そして、その手をかけている息子に関しては
子供に期待してはいけない、夢を見てはいけないという現実。
少しぐらい、夢とか希望ぐらいもってもいいじゃないの
って言いたい所ですが。
そんな事をOKなんてしてしまうと
息子はプレッシャーは持たなくとも自信が持てなくなってしまう。
今あるべき思いは、そういう願望ではなくて
子供の今ある姿に、一緒に喜び一緒に感動するべきだという事。
毎日の育児に、少しでも励みが欲しいな~って思った時に
自分が遺言書いてた事を思い出しました。
そうか、私は出産した時にはもう死んでたんだ。
って事は、もう私はいないんだ。
今いる自分は、私ではなく母親だったんだ。
人を育てる上で、母親は必要だけど自分はいらない。
子供は私の希望でもなく道具ではなく、夢を持つ為の人でもない。
ハンディを持っている子は、ただでさえ普通の生活も難しい。
普通の人が頑張っている事を、
もっと我慢したり頑張らなければならない。
そんな中で、そばにいるべき人間は
一人の人間として生きてきた人ではなく、
一人の人間として生きて出来上がった、母親。
誕生日を超えた事で、母親として生まれ直すきっかけが出来ました。
もちろん、息子は生まれ直してはいませんが
1年増した頼もしさは伺えます。
今のまま、頑張っていけ息子。
その度に、子供が生まれた事を思い出すのですが。
去年はどんな思いをしていたのか忘れましたが、
今年はふと違う事を思い出しました。
子供を出産する前にやった事、それは遺言ww
そうか、私はあの時に遺言を書いてたんだという事。
母として、雲行きが良くない事を分ってたのかな?
当時私が苦しんだのは24時間。
普通の出産よりも長かったと思います。
死ぬほど苦しかった。
当時は、苦しんでいる自分を甘えてるなーと思いましたが
今になると、ビックリ。
療育施設で帝王切開の多い事多い事。
それは、帝王切開が悪いのではなく
生まれる時点で、子供は回転して出てくる力が無かったと言う事。
そうか、発達障害だもんなぁ・・・って感想です。
今の育児は、大変ではありませんが
忙しい毎日。
手のかかる子の母親となると、
巡り巡って、私という物がうっすらとしてしまいます。
それに、少し空しくなる自分。
そして、その手をかけている息子に関しては
子供に期待してはいけない、夢を見てはいけないという現実。
少しぐらい、夢とか希望ぐらいもってもいいじゃないの

って言いたい所ですが。
そんな事をOKなんてしてしまうと
息子はプレッシャーは持たなくとも自信が持てなくなってしまう。
今あるべき思いは、そういう願望ではなくて
子供の今ある姿に、一緒に喜び一緒に感動するべきだという事。
毎日の育児に、少しでも励みが欲しいな~って思った時に
自分が遺言書いてた事を思い出しました。
そうか、私は出産した時にはもう死んでたんだ。
って事は、もう私はいないんだ。
今いる自分は、私ではなく母親だったんだ。
人を育てる上で、母親は必要だけど自分はいらない。
子供は私の希望でもなく道具ではなく、夢を持つ為の人でもない。
ハンディを持っている子は、ただでさえ普通の生活も難しい。
普通の人が頑張っている事を、
もっと我慢したり頑張らなければならない。
そんな中で、そばにいるべき人間は
一人の人間として生きてきた人ではなく、
一人の人間として生きて出来上がった、母親。
誕生日を超えた事で、母親として生まれ直すきっかけが出来ました。
もちろん、息子は生まれ直してはいませんが
1年増した頼もしさは伺えます。
今のまま、頑張っていけ息子。