ブログ内では、私の語りに入ってしまうので

文頭に言いたかった事だけ書こうと思いますクラッカー

一度登山に上る育児をしたら、必ず下山する事。

以下、語りが入りますので苦手な方はスルーよろしくお願いしますあせる


私も魔の2歳では、気が狂っていました。

悪戯をしようとする手を引っ張り、

この手が抜けてしまったら、もう悪戯が出来なくなると

それを願い強く引っ張った事もありました。


そうした時に、息子から出た言葉は

ママ止めてでした。

1語でさえもままならない子なのに。

それ程、痛かったのでしょう。


この世からいなくなってしまえばいい。

キツイ言葉も何度も言いました。

叩きましたし、虐待の域でした。

しかし、ある一線を越えそうになった時に

このまんまだと殺してしまうと思い、ブレーキがかかりました。


残念ながら、その時の私には相談先は1個のみ。

通ってる幼児教室は、あくまでも幼児教室。


保健士さんのいる、相談先の先生はたまたまよくないと言われる先生で

相談して帰ってくる度に

「お母さんが~」

「○○する事は出来ないのですか?」


良い報告をしたとしても、

「それで安心してはダメですよ?ママ友等、

比べられる年齢の子供は近くに居ませんか?」

と、平気で言ってくる先生だったので

相談先もあるようで無いようなものでした。


障害児の魔の2歳との暮らしはまさに地獄。

しかも2歳で終わる事は無し。

2歳直前~4歳前まで続きました。


因みに、その相談士と他にもう一人の相談士もいたのですが

もう一人の相談士と話しをした子は、

療育先や発達診療の先生を紹介してもらえるような当たりの先生でした(笑)


たまたま掛かりつけの内科の先生が発達も診れる先生だったのでアドバイスもらい、

そこから発達診療で大きな病院に行きなさいと教えてもらい

そこから、療育の場を知り、今へと繋がりました。


魔の2歳を虐待の域に達するまで、鬼の母になった事は

未だに後悔していません。

因みに、半年弱、日に日に恐い母になっていき子供を叩いていたのですが
(ピークは2カ月位かも)

その時の記憶が、未だに息子はどこかに残ってるようで

私が怒り始めようとすると、一生懸命良い子になるようしています。

そこから、私は穏やかな母親になり一切暴力は振るわない母親

時には、必要時に手足を叩くだけの母親へと変わりました。


多分、この子をいつか殺してしまうかもしれないと思った時に

私の中では頂上に達したのかもしれません。


色々な療育を受けていくうちに、子供の障害を受け入れて

私も勉強するようになり、

沢山の先生に教えてもらったりしていき

一歩ずつ下山していくようになりました。


今では、子供を叩く為に手をあげる事は一切ありません。

大きな声での威嚇や怒る事で大人しくさせる手段にしていましたが

それも無意味な事が分かりました。


いずれ、子供も大きくなります。

その上で、私がどんなにムチを振ろうとしても

子供はどんどん大きくなるばかりで手におえなくなります。

それなら、アメを振り払う方が注意をひきつける事に気付き

今では、その育児になるようになりました。


長くなるので、下山育児の方針は次回のブログで

まとまってから書こうと思います。


今日は三連休終わり。

これから家事しようと思います♪