昔の自分のfacebookの過去投稿を見て、想いだした。

 

私と同じ病で数ヶ月前に亡くなった友人のご主人が

「喪中はがきの手配をしました」って数日前に書いてたこと。

 

同じぐらいの小学生の娘がいて、

同じ病で同じ時期に切除手術をした。

 

術後は、お互いにfacebookの投稿を見て、元気そうだ~と確認し、

ちょっと大変そうなときは直接メッセでやりとりした。

 

◯◯が体にいいらしいよ。

☓☓食べてみてるねん、効果出たら教えるね。

 

そして、

「△△治療始まった~しんどいよぉ~。これ、死んだほうが楽ちゃうん?」

とリアルタイムで泣き言を言えたのは、

実の親でもなく夫でもなく同じ病の彼女だけやった。

 

会ったこともないし、

直接話ししたこともない。

でも、いつか、会おうねって言いあってた。

 

術後1年を過ぎる頃には、

彼女も私も子育てや日々の雑務に追われる日々を送っていた。

お互いに、日常のあれこれをfacebookでupし、コメントを付けあう日々だった。

 

彼女の調子が悪くなったのを知ったのも、facebookだった。

手術後の入院生活の日々をアップしていた。

 

そして、ある時から彼女のfacebookの投稿が頻繁になった。

文章は明るく前向きだった。

でも、書いてる内容から、彼女の調子がどんどん悪くなっているのがわかった。

 

 

正直、こわかった。

同じ病で同じ時期に手術した彼女の不調は、ワタシの未来にしか見えなかった。

そう思ったら・・・心配やったけど、直メッセできなかった。

彼女の投稿を見ながら、ただただ祈った。

 

「彼女にはまだ彼女を必要としている小さな子どもが居るんです、

どうか、どうか神様、彼女を助けて下さい」

 

それは、彼女のためだけではない、私自身のための祈りでもあった。

そこには、「まだ死にたくないんです」という、彼女の姿を借りた私の本心があった。

 

そして、彼女の投稿に間があいた。

嫌な予感を隠しつつ、彼女に直接メッセージを送った。

 

「綾小路きみまろのDVD、笑えるから、見てみたら~」という感じで、

明るいメールを送った。

 

数日後に届いた彼女のご主人からのメッセージに書いてあったのは、彼女の訃報だった。

 

 

 

 

私は今でも、彼女が一番たいへんだったかもしれないときに

メッセージしなかった、あのときの私の気持ちを覚えてる。

 

怖くてたまらなかった、あの時の気持ちを覚えている。

 

そして、彼女のご主人から連絡を頂いたときのことも・・・。

 

私は、その気持を忘れない。

そして、私が今、生きているのは、たまたまなのだ

ということも忘れてはならないと思ってる。

 

 

 

「私たちは遅かれ早かれ『(生きているのは今だけで)いつか成功も失敗も出来なくなる日が必ず訪れる』ということだ。

人生は短い。人は必ず死ぬ。生きているのは今だけで、それなのにやりたいことを躊躇する理由なんて本当は何ひとつない。
私はそう思っている。やりたいことをやろう。やりたいと思ったことをやろう。

 そこから栄光に続く道は生まれていくのだと思う。
「生きているのはいまだけで、いつか、成功も失敗も出来なくなる日が必ず訪れる。
 

                               いばや通信ブログより引用

 

 

今、生きてるのに、ビビってばかりで動けない私に、

今、生きてるのに、周りの目ばかり気にする私に、

今、生きてるのに、自分の目先の利益だけ見ようとする私に、

 

 

ふざけてんな!

やったらええんじゃっ!

 

 

と、言うた。

 

今、生きていられてること自体が「有り難い」のに、

私自身の人生を生きてないなんて、自分自身にも、

亡くなった人たちにも失礼や!

 

とも思った。

 

 

私は、会う前に逝ってしまった彼女が残してくれたものを、

大切にしながら生きていきます。

 

                        ~長谷川徳子~o(^▽^)o

 

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