赤ちゃんの名前は、中絶することを決めたときに、夫と二人で決めました。


と言っても、私の意見を採用させてもらいました。



その名前を骨壷に書いて、骨壷は用意した仏壇に収めることにしました。



仏壇も仏具も明るい物を選びました。



お経もあげない、お葬式もしない、宗派なんてなにもない、



ただ、仏壇と呼ばれる物を用意して私たちの心だけで供養することにしました。




お線香をあげて、お菓子をお供えして、夫と旅行した時に買った薄ピンクのガラスのおちょこに粉ミルクで作ったミルクをお供えしました。



毎日毎日ミルクを作っていると、



とても虚しい気持ちになっていきました。



なんで赤ちゃん、ちゃんと生かしてあげれなかったんだろう。



ここにいるわけじゃないのに、ミルク作ってお供えして、なにしてるんだろう、、、って。




この頃、人に会いたくなくて、長男と公園に行くこともできませんでした。


公園に行けば、誰かしらママ友に会ってしまいます。


一番仲の良かったママ友には話してありましたが、他のママ友には事後報告の予定だったので、なかなか会いづらかったのです。




既に話してあったママ友は、私が引きこもってる間に一度「実家でもらってきた筍をお裾分けしたい」と連絡をくれました。



私はメイクをする気力もないし、部屋着から着替える気力もなくて、公園にも出かけられない、と迷っていると、



先程の連絡に引き続き「マンションのエントランスで渡したらすぐ帰るよ、ほんとにただ筍を渡したいだけだから」と言ってくれて、実際来てほんとに筍を渡したらぱっと帰ってくれました。



変に気を使うわけでも、声をかけるわけでもなくて、あっけらかんと、それはさっぱりとした対応でした。



こういう時に人となりがよくわかるんだなとしまじみと感じました。



きっと、心配してくれていたと思います。少し話でも聞こうか、それとも励まそうか、と考えてくれたんだと思います。

これまでたけのこのお裾分けなんてこのママ友からもらったことなんてないのだから。

これは口実だったはずです。


でも結局私の心中を察して、そっとしておいてくれたんだと思います。



この時の対応にとても感謝していて、今でもこんな風に人の気持ちがわかる人になりたいと思い精進中です。



その後、少しずつ人に会えるようになり、公園にもいくようになって、会ったママ友に順番に報告していきました。



どのママ友もみんな、わざとらしく慰めたり可哀想がったりすることもなく、私の気持ちに同調してくれそっと見守ってくれました。

誰も何があったのか深く追及したりすることもなくて、逆に自然と私から会うたびに話を聞いてもらうような感じでした。



本当に私は素敵な友達に囲まれているんだなと心強く、家族以外の味方がいてくれる幸せを噛み締めました。




つづく