すごく久しぶりの投稿になってしまった。
この間、いろんなことがあって
私の経験した中ではたぶん
一番辛い出来事があった期間だった。
だけど、一人の息子が母乳を卒業し
ヨチヨチ歩きだったのが走り出し
言葉も少し話して
意思の疎通ができるようになって
辛かったことを少しずつ
心から切り離すことが
できてきた気がする
息子にはとても感謝
だから最近
「あたし、おかあさんだから」の歌詞に
批判が出てるみたいなんだけど
私は私がおかあさんになって
いろんなことができなくなったり
いろんなことが前と違うように
なったことには
「我慢」とか「犠牲」とか
思ったことはなくて
子供の喜ぶ顔が見たい
子供が元気で過ごしてほしい
ってそれだけのための
変化だと思ってた
「ヒールが履けなくなった」
ではなく
「子供と公園でたくさん追いかけっこができるようにスニーカーに変えた」
「ネイルできなくなった」
ではなく
「子供に長い爪で怪我をさせたら嫌だからいつも短くしていたい」
「大好きなおかずを食べるのを我慢して子供に与える」
ではなく
「私が食べるより子供が食べてくれた方が嬉しいし楽しいからあげる」
「ほんとは見たい番組があるけど我慢して子供番組をつけている」
ではなく
「特に見たい番組はないし、あったら録画か見逃し配信で見るから、子供と一緒にいるときは子供が好きな番組で一緒に楽しみたい」
私は息子に
本当にたくさんの幸せをもらっている
これまで私の記憶がある中では
きっと一番の
幸せな幸せな時を過ごさせてもらってる
だから我慢なんかしてない
ただ楽しくて一緒にいたくて
一緒に笑いたいから私が変化しただけ
歌詞をそのまま読むとたしかに
「子供のために我慢してるけど幸せ」
みたいに読めるけど
本当はおかあさんたちみんな、
我慢じゃなくて
したくてしてるんじゃないかな?
本当にネイルしたかったらしてるよ。
本当にヒール履きたい人は履いてると思う。
私はお酒飲んだり、夫に預けて遊びに行くこともある。
大好物のおやつは取られる前にさっと食べちゃう。
前と同じことを楽しんでもいる。
してない人のしてないことって
我慢じゃなくて
そうしたくてしてるんじゃない?
前と違う自分に
なりたくてなってるんじゃない?
それが子供の喜ぶ顔のためだとしても
その変化が
自分の楽しみのためでもあるから。
「あたし、おかあさんだから」
に続く言葉は
「変われたよ」
じゃないかな。