私 和田勉は、昭和45年に生まれ、前橋の日吉町の狭い社宅に住み、緑が丘の社宅に引っ越したのが小学校二年生の時だった。
六畳二間の狭いアパートに5人で暮らしていた。親父が今の実家に引越しを決めてくれたのが、俺が中学三年の時だった。
自分の部屋が出来たのが、この時初めてだった。嬉しくて嬉しくて、自転車で自分の荷物を運んだのを、今でも覚えている。
俺が就職して、25歳のころ、一緒に家を買おうって提案したが、親父は緑が丘の家を出る事は嫌だったらしい。
石ころだらけの庭を耕し、畑を作り上げた根性は凄いものを感じた。
庭に木を植え、花を植え、四季が楽しめる見事な庭に仕上げてくれた。
親父、オカン。借家だったが、最高の家だったよ。
2021年12月11日にオカンが亡くなり、親父が一年後の2022年12月14日に亡くなり、親父の49日法要が終わってすぐの2023年1月29日に弟が亡くなり。
すっかり実家に誰も居なくなってしまった。
俺が実家に住むことも考えたが、今後の事も考えると、得策では無いと判断。実家を引き払うことを決めた。
早く片付けようと思っても、中々進まなかったのが現実である。アルバムを見返したり、手紙を読んだり、昔の通知表を見たり。俺のへその緒があったり。親戚からの手紙があったり。親父もオカンも弟も、沢山の思い出を大切に保管してくれていた。
弟が亡くなり、間もなく1年と半年が過ぎようとしている。
妹にも家賃を出してもらい、だらだらと月日が過ぎてしまった。
そんな悩んでいるときに、友達が動いてくれた。
でかいトラックやユニック車を用意してくれたり、娘夫婦から、友達まで手伝いに来てくれて。
何せ、俺が片麻痺で、全く使い物にならないもんで。。
お陰様で、今月、2024年5月いっぱいで、退去出来そうである。
佐敷。本当にありがとう。この恩は一生かけて、お返しをさせてもらおう。
そして、小学校時代からお世話になった緑が丘とも、お別れする時が来てしまった。寂しいが、前に向かって進んで行こう。
一生忘れる事が無いだろう。
ありがとう。緑が丘町。敷島公園。バラ園。利根川。前橋ゴルフ場。また会う日まで。本当にありがとう。









