今のお父さん⑦ | 自分の思いを表現するブログ

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脳梗塞で倒れてから現在までの様子↓


2024年2月某日

夜10時に兄宛に病院から連絡が入る



「血圧が低下して心臓の動きが弱いから

すぐに来てほしい」




そう言われた兄は急いで電車に飛び乗った



車中で姉と私にLINEで連絡



父のいる病院は

兄の家からは電車で30〜40分


私と姉の家からは電車で80〜90分



夫はその日に限って珍しく仕事でお酒を飲んで帰宅



車は使えない



お父さんの最期を看取れるのか?



電車を調べると今すぐに出れば0時に着ける




既にお風呂も済ませ、あとは寝るだけの状態



しかも翌日は娘の習い事の発表会もある






そうこうしてるうちに

兄から再びLINE




車内で取れなかったけど

病院から着信があった




「もう間に合わないかもしれない」







この連絡の5日前に私と姉は父と面会していた



昨年の9月まで施設にいた父は肺炎を起こして提携先の病院に入院




そこはコロナの関係で今でも一切面会禁止





途中、少し状態が落ち着いたりもしていたから

暖かくなってきたらまた施設に戻れるかななんて話していた





タブレット面会は月に一度だけできると言われていたけど、ほぼ話せない父とは出来れば手をにぎって会いたい





きっとまた会えると信じて

タブレット面会はしてこなかった





だけど、今年1月末に血圧が下がって呼吸も苦しそうなので、昇圧剤と酸素吸入をすると病院から連絡が入り




これって、結構危ないんじゃないか…?





施設に戻るまで待っていられないかもしれない



そう脳裏によぎって、急いで病院にタブレット面会の予約を入れた




その後、父は一度持ち直した




面会の予約が取れたのは10日後




本当は私と夫と子どもたちを連れて行く予定にしていたんだけど




その週に息子がインフルエンザになり面会の日まで外に出られなくなってしまった




そのため急きょ姉を誘って二人で面会することにした





私たちはその時何となく



父に呼ばれた気がしたのだ





息子がインフルエンザになったのも必然




お父さんは孫たちには元気な頃の姿を記憶に残してほしかったんだと思う




そして最後に私と姉は虫の知らせのように呼ばれて面会




父は目を開けて私たちを画面越しに見ていた




口をパクパクさせて何かを伝えようとしていたけど、弱っていて声は出ておらず、何を言っているのかはわからなかった





わからなかったけど涙が溢れた




たった15分だけど会えてよかったよね




来月も会いに来ようね



そんな話を姉とした




私と姉は画面越しではあったけど父に会えた




最期の時は会っていなかった兄が見えない力で父に呼ばれた




危篤の時は兄だけが行くことになった





そう言うことなんだと思う



最期は亡くなる人の見えない意志の力が働いて不思議な流れができる


母の時もそうだった





そして兄が病院に到着




残念ながら息を引き取ったあとだった




その時に病院に入れるのは一人だけと言われたらしい




病院に私が向かっていたとしても結局は入れなかったのだ




だから兄だったんだなと納得





おそらく私の夫がお酒飲んでなかったら車で向かっていたし



時間がもっと早ければ迷うことなく電車で向かっていたと思う




お父さんは私と姉には会えたから

一人しか入れない病院には兄だけが来られるようにしたのかななんて思う





9月から約半年、家族にも会えず

おそらくほぼ寝たきりで何もできない日々を送ったお父さん




つらかったよね

さびしかったよね



施設なら手を握って声をかけてあげられたのに



コロナで面会もできず

最期も一人で逝ってしまった




でも今はきっと楽になれたよね





脳梗塞で倒れてから1年9ヶ月


思えば母も癌発覚から1年9ヶ月でこの世を去った




お父さんはお母さんのこと大好きだったもんね





葬儀は社葬で行われる予定



父は創業者の一人


従兄弟と始めた会社は今では東証1部上場企業になった



その従兄弟が父の葬儀を執り仕切ると言ってくれた



盛大な葬儀になりそうだ




亡くなってからもわかる父のすごさ



誇りに思うよ




お父さん、お疲れさま






今まで本当にありがとう