こころもからだも、ノンストレスに
お読みくださりありがとうございます♪
私のブロックのできた過程を通して
「ブロックって何なのか?」ということを書いているシリーズ
(いつの間にかシリーズ化ww)
いったん今日でおしまいです
私たちにとって
「根っことなる大きなブロック」って
少なくとも7歳ころまでには、できているものなんですよ
私たちの脳は、0歳から7歳までの原体験から
大まかな思考のパターンを作り
あとは日々起きる出来事を
その脳の思考パターンに当てはめて認知する
そういうことを日々行っているんです
UMIでこのからくりを知った時
私はやっと合点がいきました
父も母も姉も
誰も私を「できない」と責めることもなければ
ないがしろにされるわけでもないのに
なぜこんなにも「自分はできないヤツ」と思ってしまうのか?
それは・・・
幼い頃に感じた「絶対的な能力の差」を判断基準にして
いつでもどんな時でも
「私は姉のようにはできない」という
大前提の思考パターンに当てはめて認知していたから!!
だったんです
たとえば
私が言葉もしゃべれない
歩くことも出来ない赤ちゃんの頃
視界の中の姉は小学生です
よちよち歩きで危なっかしい頃
姉はアスレチックだってできちゃう
伝えたい思いをうまく言葉に出来ない頃
姉は両親と楽しくおしゃべりしている
どうやら
こういう幼い頃の圧倒的な能力の差に
私は傷ついてきたようなのですね~
(何度も言いますが、これはあくまでも私の場合、です
同じ環境でも同じところにブロックを作るとは限りません)
こうして幼少期にしっかり刻み込まれた
「私は(姉のように)○○できない」という思考のパターン
これがあるからこそ
私がやっと国語や算数を習い始めた頃
姉は中学生
私の学費負担が大変になる頃
姉は社会人
そのつど
姉と比べては
「あれもできない」
「これもできない」
「あれもない」
「これもない」
「役に立たない」
「生まれてきた意味がない」
と
自分に落第点をつけていたわけです
最初から能力的にできないってことにしておけば
努力をしなくても済みますからね←ここ大事
そうやって自分の人生に対して
自分でジャッジして拗ねていたわけです

では!
本当に私には能力が無かったのか?
「姉のように○○できない」は本当なのか?
というところ
ブロックを外して
フラットな視点で
第3者の視点になって見てみます
するとね
誰だって分かると思うのですが
「そりゃそうだろ!!!」
ってつっこみますよねww
小学生がおしゃべりできるのは当たり前
赤ちゃんがしゃべれないのは当たり前
なわけです
ここに気づくとね
ブロックは外れていきます
たとえばね
私は妹としての視点で拗ねてますが
もし
私が姉という立場だったら
「いっぱいお世話されている」
「可愛がられている」
「宿題しなくても怒られない」
「お手伝いしなくても許される」
「何もしなくても愛されててズルい!!」
「お母さんは妹の方が可愛いんだ」
そんな風に思うかもしれませんね
妹の体験も
姉の体験も
どちらも真実ですが
第3者から見たら
「そりゃそうだろ!!!」
って一言つっこんで終わる話だったりするわけです
これらがね
子供の頃の懐かしい笑い話であればぜーんぜんOK♪
でも・・・
もし、今もなお
その時に感じた悲しみが残っていて
何か大切な選択をするときに
無意識に子供の頃の思考パターンで決めているとしたら・・・?
それって
自分の人生を生きているって言えるでしょうか?
大人になって
たくさん経験して
本当はもっともっと広い世界が
自由な世界が
可能性しかない世界が
あなたの前に拡がっているかもしれないのに
幼い頃に刻み込んだ
幼稚な思考パターンにとらわれて
セイフティゾーンから出られないとしたら?
ちょっともったいない話
外に飛び出してみたい
可能性を信じてみたい
そう思うと怖いけどちょっとワクワクする!
そんな人は
自分に向き合ってみるタイミングが来ているのかもしれませんよ♪
ではでは、また♪
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2022年1月26日(水)
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