今日は料理ブログではないんだ。今思うことをブログに思い存分書き綴りたい気分なの。
今年の夏、いや、春ごろだっただろうかぁ...郵便受けを開けると、いつも通りに『ゴミ広告』が山ほど入っていました。殆どがクソ不動産屋の新築&中古物件の広告。(苦笑)
他人家のゴミを増やすな、糞ったれ不動産屋!と、いつも怒りこめてぐしゃぐしゃにゴミ広告を丸め、側にあるゴミ箱に即捨てるんだけれど、その日は違った。
クソ不動産屋のゴミ広告の山の一番上に、『親鸞聖人の教えを学ぶ会』と書いた、浄土真宗の勧誘広告がありました。そのサブヘディングが、私の目を引いたんだよねぇ...
『辛くても生きる理由』
今の私は毎日が辛い!辛い原因は当然、お金。
財布の中に1万円札が常に数枚入っていて、それでも足りなかったらバンバンクレジットカードで買い物をしていた頃と違い、千円どころか、10円、1円のお金まで、ハラハラドキドキしながら財布から取り出す毎日。
朝から晩まで、男でも一人で持ち上げるのに苦労する重いものを持ち上げて働き、それでも生活は一向に上向きにならない。もういやっ!と、現実逃避したくなることがしょっちゅうあります。
でも、そんな時、いつも思い出すのが、この浄土真宗の勧誘広告なの。
こんなに辛いのに生きなければならない理由って、一体何なんだろう...?
そう自分に問いかけることで、なんて言うのかなぁ、一種のメディテーション効果ってのかしらん。何か理由があるからこそ今は辛いんだと思え、投げやりになりそうな自分の気持ちに歯止めが効くんです。
先週末、今年も残すところあと2週間足らずと再確認し、3度目の一文無しのクリスマスと新年を迎えると言う事実に、私はかなり凹みました。
こんなに辛いのに、それでも生きる理由って一体何なんの?と、またいつものように自分に問いかけてみた。けど、その回答を得られるどころか、生きる理由なんてもう私にはなんもないとまで思ってしまった。
そんな風に落ち込みきっていた日曜日のお昼頃、私の携帯が鳴りました。
誰だ?てっきり、派遣会社のおっさんが、明日別の現場に行けと電話をかけて来たのだと思ったら、その主は兄でした。
兄は母が脳出血で倒れ、私が月1回アメリカから帰国し、両親の面倒を見ている最中に、新興宗教に入信した。
よりにもよってその時期に入信し、おまけにその宗教が理由で父親の葬儀にも出席できず、旦那と私の二人だけで淋しく見送ってやらなければならなかったことに、私は怒り心頭に発した。
私は今落ちるところまで落ち、父の供養さえまともにして上げれない。盆、正月、お彼岸や命日が来る度、兄さえ早まった行動をしなかったら、人並みに父の供養がしてやれるのにと思うと、私の怒りは治まるどころか高まる一方なのです。
なもんだから、兄妹の付き合いは最近では殆どない。その兄が電話を掛けて来たの。てっきり母に何かあったんだと思い、心臓がバッコンバッコンしたわよ!
でも、電話の内容は母のことではなかった。
私のブログを読み、米も買えないほど苦しい生活をしていることを知った兄は、自分も年金生活で裕福でもないくせしてさぁ、ちょっとゆとりが出来たから、何かとお金が要りようの年末のこの時期、少しお金を口座に振り込んで上げようかと電話をかけてきたのです。
私さぁ、それに答えようとするんだけれど、次の瞬間涙がボロボロこぼれ出て、まともに話せなくなってしまった。
凹んだ時いつも思うのは、あぁ~~父が生きていてくれたら...。そしたらここまで落ちぶれることなく、多少でも助けてもらえるのにと。
母を老人ホームに尋ね、なんも分かっていないようで、実はよく分かっているのかも知れないから、涙だけは見せないようにしようと思いつつも、一方通行に涙声で愚痴り、一言、がんばりや!と言ってよ。言ってくれたら、もっと気持ちが楽になるのにと訴えることが度々ある。
旦那じゃないんだ。血を分けた肉親から、温かい言葉やささやかな援助の手を差し伸べてもらえたら、目の前がどんなに明るくなるだろうかと、辛い時いつも思うんだよね。
タイミングよくと言うのかなんてのか、この最悪の状況が来年も続くのかと凹んでいる時に、兄から思いもよらない温かい言葉をかけてもらい、涙が止まらなくなってしまった。
兄に対する怒りの気持ちが治まらないとか、えらそうな口叩いているけれど、すでにその兄からも私ら夫婦はお金を借りているの。これ以上迷惑をかける訳にはいかず、兎に角二人で頑張ってみるから、今はお金は振り込んでもらわなくていいと断りました。
お金を断った翌日。私の留守中に兄はやって来て、今の我が家の家計では絶対に買えない高級但馬牛のロース肉500gを、手紙付で届けてくれました。お正月に夫婦で有り難くいただこうと思って、帰宅後即冷凍保存したよ。
兄夫婦の立場を自分達夫婦に置きかけてみると、自分の身内にお金を用立てて上げようと思ったら、当然パートナーに相談するじゃない。どんなに用立ててやろうと思っても、パートナーがNOと言ったらそれも叶わない。
そう考えるとね、兄のオファーに感謝する以上に、快くそれを承諾してくれた兄嫁には、それ以上に私は感謝の気持ちで一杯です。
『辛くても生きる理由』これは全ての人にとって、この世でのテーマかも知れないね。
来年も私は今となんも変わらない、辛い日ばっかりの1年だと悲観視しているけれど、辛くても生きていると、時にはこうして人の温かい心に触れることができることもあるってことを忘れないよう、頑張ってその日その日を生きようと思います。



