痛みを知覚しているところに痛みがあるとは限らない。
もっと立体的に捉えてみると、
身体の外にあるものを
身体のある部分にあるよう「知覚している」
っていうようなこと。
それと関連して、身体の痛みにくっついていた感情(葛藤・カルマ)をクリアにしたら、痛み+αの苦しさが軽減したり消えたりする。痛みになんらかの感情(葛藤・カルマ)がくっついていると「 単なる痛みではなく、苦しみ」になるのだけど、「単なる痛み」であると、そこに+αの苦しさがなかったりする。
たとえば「悲しみ」などのネガティブと呼ばられている感情についても、そこになにも葛藤やカルマが+α付随していなければ、単なる「悲しみ」になり、そこに「苦しさ」はない。
* そこに「苦しさ」がなければ、
知覚/感じられた瞬間、ただサラサラとながれていく。
そこに「苦しさ」をかんじたなら、
「苦しさ」をかんじることによって、
その葛藤やカルマが意識され
「苦しいからこそ、どーにかしようともがく」
結果的には流れ着く= 手放される、癒される。
意識をあててもらいたがっている「なにか」
気づかれたくって、
認識されたくって、出している「音」を
二元的・身体的には「痛みや違和感」として認識される。
かんじるココロケア あまのこころ
