共感や許し、祈り
合掌したときに生じる“ 感覚 ”
美しい風景を眺めているときの“ 感覚 ”
自然との一体感を味わっているときの“ 感覚 ”
ただ “ 共にある ”
” ひとつ ”という状態
= 共感共鳴、許し、ひとつ
たとえば、その場所に行って祈る・手を合わせる。
その場所で起きたことがアタマでは
わからない/許せない/知らなくても、それは起きます。
ただその場と共感・共鳴しているだけ。
注目=愛 を欲してる
それは“ 場 ”や“ 人 ”でもおなじで、
そこにあるニーズ
(わかってほしい=愛してほしい)に共感
それによって起きる解放・解消。
これはとてもシンプルな
ヒーリング法でもあります。
合掌は 気を合わせる スイッチのようなもので
同調 気を合わせる = 共感 によって
反発していたエネルギーが解消されます。
こういう作用をわたしたちは
“ 感覚的に知っている ”
だからスキルや知識なしに
自然と起きていることです。
わかる/わからないに左右されず
赤ちゃんや動物でもやっている
“ 感覚的なもの ”
共感・許しの優先順位は
「 いまの気持ち・感覚 」
“ 嫌い ”でも
“ 受け入れがたい ”でも
“ 恨んでいる ”でも
“ 理解しがたい ”でも
ただ合掌・手を合わせることはできます。
これは「良い人になろうゲーム」ではないので
“ 許したくない ”でもいい
許さなくてもいい、許せなくてもいい
好きでも嫌いでも、
“良い人”でなくても
“完璧な人”でなくても、起きる。
どんな自分であってもなくても、
どんな状態であってもなくても、起きること。
自然発生的におきる(共感共鳴、許し、ひとつ)
“ いまの気持ち ”も含めて
全体的な癒し(共感共鳴、許し、ひとつ)が起きます。
善悪やこうなれ/ああしろというコマンドなしに、
なにを願うでも意図することもなく、
ただ合掌・手を合わせて“ 自然の流れ ”に任せる。
結果はおまかせ、手放している。
拒絶・批判から共感・許しの状態/意識になると
そこにあったパターンみたいなものが解消、終わる。
祈り/共感 は 好き嫌いを超えている。
だから、好き嫌い関係なしに起きる。
分け隔てのなさ
“ ひとつ ”という感覚
そのとき起きているのが
物理的な感覚でいう“ 許しや共感 ”
逆をいえば、
許し共感の感覚は
“ 分け隔てのなさ ひとつ ”
鮭が生まれた場所に回帰するように、
すべてのベクトルは
元々の“ ひとつ ”に向かっています。
自然の流れ=“ひとつ”への回帰
和解 許し 調和 愛 とも呼ばれている状態
それとは真逆の現象
(拒絶・批判・争いのような現象)も“ひとつ”への回帰。
かんじるココロケア あまのこころ
