「 どーしようもないと見下している輩と自分は
“なにも違わない”というのを認めてしまう安心感。」
それは 分離していない安心感 でした。
「 なにも違わない=ひとつ 」であることを
拒絶・認めようとしないことのほうが苦しいのは
抗いようのないベクトルから逆行=抵抗しているから、、、
“ なにも違わない ”ことを認めてしまうことが
こんなにも ラク なのはそれが 自然 だから。
不自然( 拒絶、抵抗 )じゃないからなのだとおもいます。
許せない、受け入れがたい
そうやって拒絶・否定している“ あなたは わたし ”なので
苦しみ(不安、恐れ 等)として知覚されます。
物質的側面(二元)においては
“ わたし ”“ あなた ”
“ これ ”“ それ ”は別々に見えるけれども
非物質的側面(非二元)においては
“ たったひとつ ”です。
物質的側面に所属している
肉体をとおしての“ わたし ”には
物質的側面のほうが知覚・感知しやすいけれど、
見えない・気づかないからといって
それが「 ない 」わけではなく、
物質的側面(二元)/非物質的側面(非二元)
この 表裏一体(ワンセット)は
同等に、おなじく、同時に存在しています。
非物質的側面(非二元)に
ハッキリと気づいていたなら
批判 や 拒絶 ってなかなか難しいことで、
無知/無自覚だからこそできる 表現 です。
そのように投影=甘ったれさせてもらっている全体性に気づくと
ただただ ありがとう&ごめんなさい で
そうなると 融合・調和
( 許し、感謝、共感、対消滅、、、)
抵抗・反発 が 融合・解消 へと展開していきます。
これは 勝手におきていること です。
それが「 抗いようのないベクトル 」
「 必然的な方向性 」だからです。
かんじるココロケア あまのこころ