その人が、わたしが、
「 いま、そうある 」ことを
認めている/受け入れている、許している。
「 理解/わかる 」というのは、
むしろ、アタマ(思考レベルの理解)じゃなくて、そこ。
わかる/わかった って、
それを、許している状態。
いろいろ=多様性 それを、認めている。
こうあるべき(正しさ)から、許すとか「受け入れます」じゃなく
むしろ、ハート。
むしろ、肚。
アタマ(思考)、じゃない。
つまり、
「 わかる/わかった 」って、
思考レベルの話じゃなかった
そんなんで、
「 わかった、わかった 」って言ってたけど、
全然、「わかっていなかった。」
・・・・ってことに気づいたわけです。
アタマで「わかった、わかった」って言っていただけ、だった。
もし わかった なら、
そこには、それに対して、
「 ニュートラル/中立 」なわたしがいる。
「 それを、許しているわたしがいる。」
一方方向からの視点
/ものの味方、見方じゃなくて
「 どちらの言い分も、わかる 」
つまり、応用がきいた理解ができる。
ほんとうに「わかっている」と、応用がきく。
= 多様性を理解できる。
つまり、ジャッジがない。
いろいろな角度から見える。多角的、全体的。
もし「わかっているのに、応用がきかない」のなら、
それは、ただ、誰かやなにかに教えてもらったものを
覚えているだけ/記憶しているだけ/知っているだけ、かも。
「わかった、わかった」という思考の声は、よく観察すべし。
むしろ、「わからない」という自分を受け入れられているなら
それって、無知・無意識じゃない自分
「気づいている」
