昨日、「1週間前に覚醒した」という方とお話をしてきた
※ 覚えているうちにメモ 記事にしておこうとおもいます。
覚醒した人 と まだ覚醒していない私
という構図 を体験できた面白さ というのもあって、
これも別途、メモ(記事)にしてみようとおもいます。
いろいろ面白いこと
「そうか」とおもったことがあったのですが、
まず、
「 覚醒した人 と 覚醒していない人の違い 」
※ それを、あえて、言うならば。
それが、とても明確になりました。
「そこには、なにも違いはない」という前提がありつつ、
あえて、違いをいうならば、、、そういう人の共通点。
覚醒/目覚めを体験した人は
・ わたし、この世界の構造 について
ハッキリと知覚・体感している。
・ 分離感のなさ
・ それゆえ、ジャッジがない
覚醒している人 は
「なにも、知らない自分/自我」を包括している
覚醒していない人 は
「なにも、知らない自分/自我」に無意識である
例えていうなら、
ヒマラヤの頂上の景色を視たことがある人 と
「ヒマラヤ」いうもの自体を知らず、
「ヒマラヤの頂上の景色」をイメージすることもできない人
そのような違い。
また違う例えでいうと、
一度、「美味しい食パン」を食べてしまったら、
「これまで食べていた食パン」の「味気なさ」に気づいてしまい、
明日からまたそれを食べようという気にならない
「これまで食べていた食パン」も、それなりに「食べれる」 し
状況によっては「美味しい」「満足できる」
だから、これまでの食パンでも「 困らない 」
それが、この世の中にある、
無意識状態でも楽しめる「 たくさんの喜び 」
十分、それでも、刺激的だったり、満足できたり、
そこそこエキサイティング、面白い、楽しい。
覚醒した後も、
そういう「 たくさんの自我の喜び 」も
「 バリエーション 」として楽しむことができる
「 それも、楽しめる」 のと
「 それしか、その喜びしか、知らない」という違い。
全部が面白いのと、
面白いとかんじるものに制限がかかている、との違い。
おなじ場所にいる二人、おなじような体験をしているようで
捉え方も、感じ方も、まったく違う。
食パンにかぎらず、
とっても肌触りのいい下着 をはいたら、
「もう、ずっとこのパンツだけ、履いていたーい」
その他のパンツじゃなくて、
自然と手にとるのは、いつでも「そのパンツ」
そこに着地してしまうと、
それが「 ふつう/あたりまえ/それ以外はないな 」
その「感覚」を知って、そことずーっと繋がっている状態。
