チャオーーーーーーーーー!!!
こないだ、私と夫がおデートしている間、子供たちはどうしていたのかというと、
キテレツが、
ニフレルに連れていってくれていた(‐^▽^‐)
わかりやすくいうと小動物園的な。
檻とか網とかをできるだけ省いた
体験型・参加型の動物園みたいな施設≧(´▽`)≦
ちゅんたん、水族館好きだから
ニフレルもすっごく楽しんでたみたいで、
キテレツにいろいろと説明しつつ、一緒に回ってたみたい。
そのキテレツとちゅんたん達のあとに、
デート中のお兄さんがいて、
ちゅんたんが説明してるのを、
端で聞いて、
喜んでいたそうな(°∀°)b
お兄さん、
もれなくセット。
これはまさに・・・・
「ツアー客に紛れてうんちくを聞こう」戦術と一緒。(やったことある人いるんじゃないかな)
ちゅんたん、ニフレルガイド化。(バンザイ。)
最初に図鑑を買い与えたのは私たち親だけれど、
いつの間にか、ちゅんたんの知識量は親の私たちをはるかに上回り、
今となっては、もはや私たちから彼に教えられることは何もないんじゃないかと思う。
こないだ、キテレツとちゅんたんと二人で話してたときに、
こんなことがあったそうだ。
フルーツバットというコウモリについてキテレツが話し始めたとき。
ちゅんたんが、会話をさえぎって聞いてきたらしい。
知ってるってことを知ってるって言ってもいいのかな。
キテレツ:「・・・・・???」
キテレツは何でこんなことを聞くのかよくわからなかったけれど、
「もちろんいいよ^0^」と答えたら、
せきを切ったようにフルーツバットについて話し始めたそうだ。
・・・・・なるほど。
この話を聞いて、私は、
少し切なくもなり、嬉しくもあり、歯がゆくもあり、
複雑な気分になった。
ちゅんたん、7歳。
なんていうか・・・
最近、徐々に、
「集団の中でうまく渡り歩いていく方法」
というか、
「集団の中で浮かないようにする手段」
というか、
「集団と自分」みたいなものに対しての意識が出てきてるような気がする。
ほんの少し前までは、
自分の知ってることは全力で発言し、アピールしていたちゅんたくん。
でも、子供社会というのはある意味 無邪気で残酷な世界なので、
知ってることを全力で披露しててもそれはそれで釘を刺されてしまうもの。
「あのね!これね・・・!」と前のめりで説明しだして、
「黙ってて!」て嫌がられちゃう場面をしばしば見かけたことがある。
(それがいいか悪いかは別として)
お友達との関係の中で、
きっと、ちゅんたんはちゅんたんなりに、
周りとうまく渡っていける距離感みたいなものを手探りし始めたんだと思う。
一言で表すとすれば、
羞恥心 かな。
きっと、彼の中で、集団の中での羞恥心 が 芽生えたんだと思う。
そういえば、一か月ぐらい前に何気ない会話の中でこんなことを言い出したことがあった。
オォゥ!?
どどど、どうしたいきなり!!
私:「どこが変だと思うの?」
でへーーーーーー!!!
いやいやいや、ちっともおかしくないよ。
少なくとも位置はおかしくない(^▽^;)
それって・・・もしかして・・・・・
私:「ちゅんたん、自分の顔が周りの友達に比べてかっこよくないなーって思ってるっていうこと?」
ちゅ:「うん。そう。」
わーーーお!
そんなことないよっ!
ちゅんたん、かっこいい顔してるよ!!((;´・ω・))
ってフォローしたことがあったんだよね。
このとき私は気づいた。
今まで周りと自分を比べるというようなことがなかったちゅんたんが、
今、だんだんと自分と周りを比べ始めているということを。
そして、自分に自信が持てなくなってるんじゃないかということを。
彼は来たるべき思春期へむかって着々と進んでいっておる。
大人の私からすれば、
のびのびとちゅんたんらしくいればいいのになー、って思うんだけどさ。
今まで、自分に正直にありのままをさらけ出して過ごしていた段階から、
少しステップアップして、
大人への階段をのぼって行ってるんだなー・・・って思ってちゅんたんの成長を感じる今日この頃。
人間、大きくなっていく中で、
自分に自信が持てない時期って誰しもあると思うもんね。
自分自身のことを振り返ってみても、必要以上に自信がなかった時期だってあったし、
そうゆう時期を経て、
最終的に大人になったときに自己肯定感を持ってればそれでいいかなと思う。
ちゅんたんの揺れる気持ちを知って、
私もそういやそうだったなーって昔を思い出した。
子供ってただ天真爛漫に生きてるだけに見えて、
実は大人が思う以上に考えてたりするんだよね。
小学校低学年でも、
周りから浮きたくないっていう気持ち、あったもんね。
昔に思いを馳せたら、とあることを思い出した。
私が小学校高学年のころ、
帰国子女が転向してきた。
アメリカで暮らしてたからもちろん英語がペラペラで、
今までネイティブな英語を喋る友達なんて周りにいなかった私たち同級生たちは、
身近にある英語らしきカタカナを彼女にネイティブの発音で発音してもらっては
「キャー!」「かっこいー!」と黄色い歓声をあげて喜んでいた。
今から思うと、おバカだなー(;^ω^Aって思うのだけれど、
日本の小学校が始めてだった彼女にとっても、
日本の小学校しか知らない私たちにとっても、
ネイティブな英語が喋れるというのは彼女の「強味」というか、クラスメイトとの距離を一気に縮める橋渡し的要素であったのはたしか。
しかし、数年後、
中学校で再び同じクラスになったとき。
英語の授業で私は驚いた。
ネイティブスピーカーの彼女が、
全くもっての日本人発音になっていたのだ。
英語の発音を忘れてしまったわけじゃなかったと思う。
きっと、あえて こうしてたんだと思う。
このとき、私は、
彼女の良さがひとつ隠れてしまったことを残念に思いつつも、
この数年で彼女が抱えたであろう葛藤も感じた。
周りと違うことが武器だった小学生時代から、
だんだんと、
周りと違うことが恥ずかしくなっていって、
そして、彼女は彼女らしさを封印した。
今になってみれば
人と違うことを恥ずかしがる必要なんてないし、
自分は自分らしくいればいいのにって思うけど、
ようやくそう思えるようになったころには
とっくに大人になってしまっているっていう・・・ね。(時間よ戻れ)
こんなことを思い出しつつ、
ちゅんたんがだんだんと次の段階に入ってきているということを感じた7歳の夏。
まだまだ幼いと思っていたけれど、
きっとこうして親の知らない間に彼は着々と巣立ちの準備を始めていくんだろうな。
てか、
ニフレルいってきましたー!な冒頭のノリと
後半のセンチメンタルなノリの差よ・・・・。(激)

















