“パリのアメリカ人” ならぬ “パリの日本人” その④
ベルサイユ宮殿の続き・・・・
こちらはプチトリアノン。 ルイ15世のお妾さんのために建てられた別邸。
のちに、ルイ16世とマリーアントワネットのお気に入りの離宮となる。
こじんまりしたエントランス。 グラントリアノンと比べると規模が全然違う。
ルイ14世と15世の違いということか・・・

ベッドルームとリビングもこじんまりとまとまっております。
王様の台所。 ここでどんなおいしい料理がつくられたのでしょうねぇ・・
当時のフランスの宮廷では、男女区別なく愛人を持つことが流行ってたそうで、
マリーアントワネットもここで、恋人と密会したそうな。
ということは、 フェルゼンとここで会ってたのか? 冬場はさぞかし寒かったろう。
こちらはプチ・トリアノンの奥にある村里
ここで、マリーアントワネットは疑似農村生活を楽しんだ。
ここに入れるのはほんのわずかの側近と、お気に入りの取り巻き数人だけだった。
彼女はここで農村の少女の衣装を身につけ、宮廷から距離を置いて生活していた。
そら、一般人が食うや食わずの生活してる時、お遊びで農民の真似されてたら、ムカつくわなぁ~~。
ベルサイユ宮殿の庭園にある、人工運河。
ルイ14世はここに軍艦を浮かべて訪れた客人に披露していた。
ルイ16世は愛人やお妾さんを一切持たず、お城や離宮も建てなかったし、質素な人物であった。
マリーアントワネットは浪費家でプルボン王朝の凋落を招いたとされているけれど、
大してお金を使ったわけではなく、すべては王妃としての体面を保つためであった。
自分から要求して建てたのは疑似農村だけで、離宮に比べるとはるかにそのコストは安い。
ブルボン王朝の財政破たんは、すでにルイ15世の頃から始まっていたそうだ。
そりゃ、この広大な宮殿を維持するのだけでも、莫大な費用がかかるわなぁ。
マリーアントワネットの最後の住まい。 コンシェルジュリー
革命時にはここから2600人が断頭台に送られた。
マリーアントワネットの独房
囚人番号は280番
監視がついていた。
色々調べると、ルイ16世、マリーアントワネットともに、さして悪いことしてるわけではなく、
まあ、時代に葬り去られた悲劇の王・王妃かなぁ・・という感想を持ちました。








