(画像はお借りしています)


こんばんは、CHISATOです(^^)


年配女性が多い習い事では、
普段忘れかけている



昭和のやりとりを

見ることがあります。



見ていて、気づいたことは、



自分がどうしたいのかは、
二の次なのです。


とにかく、
周りに合わせます。


皆さんがそれにされるなら、
私もそれで…。
(本当は違うのがしたいけど)


その方が、先生が楽ですよね。
(本当は違うのがしたいけど、
 私だけの為に悪いから)


といった感じの
やりとりがしばらく続きます。


それも、
全然サラッとしてない。


ネバーっと。


私は本当は、
違うのしたいけど、


悪いから〜、って。
不満なのは、丸わかり。


一見すると、
譲り合い精神で、



古き良き思いやりがあって、

良い感じなのかもしれません。


が、それって、
素晴らしいのかしら❓


私は、横から思わず
「遠慮なさらずに、
 やりたいのをやれば 
 いいのではないですか❓」


と、言いそうになりましたが、


そんなことを言えば、


正義感から、
先生の身になれだとか、


周りに合わせるべきだとか、
わがままとか言われそう…。


そう。

こちらのおばさま達は、
ちょうど、うちの母親に同じ。



我慢をしてきた
昭和の女性だから。


まさに、遠慮と自己犠牲❗️の塊。


自分を生きれない
変な文化というか…。


そういう私も、
少し前までは、


母親の考え方が正しくて
遠慮や自己犠牲精神こそが



美徳と思っていたので、

なんとなくわかる。



譲り合いは、素晴らしいし、
思いやりは、大切だけど、


この使い方間違ってるかも。



自己犠牲せずに、
譲り合い、思いやれるって
難しいことなのかなぁ…。


でも、これって

最終的には、『母親業』を

立派に努めてきたからこその

思い癖なのかも…。



子供優先、または、旦那、姑優先。



そう考えると、

ちょっと可哀想な世代

でもありますよね。



うちの母親もそうだから。



この

昭和の呪縛から



ひとりでも多くの女性が

解放されることを

陰ながら祈っております(^^)