おはようございます。千寿です。

新しい週が始まりましたね。今週も宜しゅうお願いします。

きょうは、クリスチャンの間では、めっちゃ有名な『主の祈り』のお話です。

 

 

  主の祈りとは

『主の祈り』は、イエス様が、私らぁ一人ひとりに「このように祈りなさい」って。

私らぁ人間に解り易く教えてくださった、いちばん大切で、基本のキホンとも言える祈りなんです。

 

 

ほんな、ここで・・・『主の祈り』の全文を綴ってみましょか。

 

読んでみたら、ちょっと長い祈りのようにも思いますよね。

でも、一つひとつに大事なことが込められとんですよ。

そやのに、それを吟味することなく、諳んじて祈っとるだけやったら、真心もクソも有りませんね。

ちゃんとした意味も味わわんまま、呪文のようにエエ加減な祈りになってしまいがちになります。
それでは、何の意味もなくなってしまう気がするんですよね。

 

やで・・・ここからは、ひとつひとつ、主の祈りのポイントを追っていってみることにしましょか。

 

 

  神様への呼びかけと神様のための祈り

この祈りの最初は、「天にいます私たちの父よ」いう言葉で始まります。
クリスチャンは、神様に祈る時に、「天のおとうさま」って、最初に呼びかけるんです。

私が週ごとに聖書のおはなしをさして頂いてる時・・・

最後の祈りで締める際、そのように呼び掛けてるんを、皆さんも、お気づきやろと思いますけども。
クリスチャンは、神様の子どもと呼ばれとるんで、神様に「お父さん」って呼びかけられる。

そういう特権が与えられとんですよね。
でも、いっつも神様を悲します私らぁは、神様の子と呼ばれるに相応しない存在かもしれません。
やで、私らぁの罪の罰を身代わりに受ける為に、イエス様が十字架で死なれたんやんね。
イエス様以外に誰が、あなたの為・私の為に、徹底的に十字架で苦しんで、死ぬことが出来るかと。

まぁ、絶対に有り得へんことやろけど、極端な例え話を書かしてもらえるとしたら・・・。
たとえば、あなたの友達が、こんなことを言うてきはったら、どうします?
「私(俺)、死刑になる罪を犯したんや。でも死ぬんは怖い。代わりに死んでくれえへんか」って。
大概の人は、たぶん、そんな怖い事なんか出来んやろと思うんですよ。
いくら相手が、自分にとって大切な友達であるとしてもね。

でも、神様御自身は、何より大事なイエス様の十字架の死っていう犠牲を払われた事で、
私らぁに、御自身の愛を表してくださったっていうんですよ。
このことで、神様が、どれだけ私らぁ人間を深く愛しとってくださるか。

それが、よう解る思うんです。
それを考えたら、「そんなにしてまで・・・」って、嬉しい気持ちになりませんか。

そんな呼びかけが終わった後、こんなふうに、神様の素晴らしさを褒め称えるんです。
「御名(みな)があがめられますように。御国(みくに)が来ますように。
みこころが天で行なわれるように地でも行なわれますように。」

御名っていうんは、神様御自身のことを表してるんです。世界を造られ、全てを支配される方を。

世界中の人が、真の神様と信じて礼拝して、共に褒め称えるように願う。
で、全ての事柄が、神様の御計画どおりに行なわれるようにって願いながら祈るんやね。
ココまでが、私らぁが神様の事を考えて祈る、お祈りなんです。

 

 

  願いを伝える祈り

で、次から記す中身が、私らぁの願いを、神様に伝える祈りになります。
「私たちの日ごとの糧を きょうもお与えください。」
ここで言う「日ごとの糧」いうんは、毎日、私らぁが食べる食べ物のことです。

私らぁは、当然のように衣食住を与えられとる思てしもとるけど・・・、

でも、その全てを与えてくださっとんは、神様御自身です。
全てを御存知である神様の与えてくださる恵みなしに、私らぁは、生きていくことは出来ません。

でも、世界には、満足に食べる物のない、苦しい思いをしとる人も居はりますよね。
やさかい・・・、そういう人々にも、同じ恵みが与えられるようにと。

そんな願いを、神様に向かって、願い求めるんです。

 

で、次の言葉。
「私たちの負い目をお赦しください。私たちも私たちに負い目のある人たちを赦しました。
私たちを試みに会わせないで、悪からお救いください。」

ここで言う「負い目」いうんは、罪のことを表してます。
私らぁは、さっきも書いたように、イエス様の十字架によって罪を赦されてるんやけど、
でも、悪いことをしたらアカンって解っとっても、罪を犯してしまいやすい、弱い者なんですよね。
そんなんやさかい、いっつも神様に対して、自分の罪の赦しを請う必要があるんです。
で、神様が罪を赦してくださっとるように、私らぁも、人の罪を赦すっていう必要があります。
さらに、罪の誘惑か守られるように願い求めて、悪魔の誘惑を見抜く力を、きよい神様から頂く。

そのことを、お願いするんやんね。
で、いちばん最後に、もう一度、神様の素晴らしさを褒め称えて、アーメンで締めくくります。
 

こんなふうに、一つひとつ噛み砕いて、主の祈りを理解すると・・・。
「なるほど。こういう意味やったんや」って、改めて考えながら、心をこめて祈れますよね。
そう思たら、諳んじた棒読み的な祈りやのうて、しっかり気持ちを入れた祈りになると思うんです。
主の祈りん中にある言葉の一つひとつを吟味しながら、心をこめて祈っていきたいですね。

 

 

  賛美動画をとおして・・・主の祈りを覚えてみよう

実は、今回の主の祈りですけども・・・。ワーシップソング・新聖歌ん中にも、あるんですよ。

新聖歌では、54番として紹介されてます。

さっそく、動画のひとつを貼りつけますんで、聴いてみてください。

👇

ただ、うちんとこでは、こんなバンドっぽい感じやのうて、オルガン伴奏のもとで歌ってます。

日曜・朝10時半の礼拝プログラムの最後に、これを歌うことを通して、主の祈りを捧げとんですよ。

あと、朝9時の教会学校礼拝で、小学生から高校生までの生徒が、文どおり主の祈りを捧げてます。

 

私が、10時半の礼拝プログラムの最後に、主の祈りを賛美する時には・・・。

単に曲のメロディーを追うんやのうて、『神様。感謝します。あなたを心から礼拝します』って。

そういう気持ちで歌うようにしとんです。

最初のフレーズは、わりと落ち着いたような感じで、静かに歌ってるんやけど。

『国と力 栄えは とこしえに・・・』あたりになると、歌詞と共に、自分の心が高ぶってくる。

そんなんやで、かなり大きな声で歌ってるかな。

『国と力 栄えは とこしえに・・・』の繰り返しになると、さらに声が大きなって・・・。

で、最後の『アーメン』になると、オルガンの音が終わるギリギリまで、声が伸びたりして。

でも、それが、私の喜びになってるんです。

ただ、最近は、早天礼拝に出ることが増えとるもんやで、新聖歌63番を歌っとる方が多いけんね。

 

ほんな・・・それを踏まえて、改めて、皆さんと共に、主の祈りをお捧げすることにしましょうか。

それを、今週の祈りに代えさして頂こうと思います。じゃあ、一緒にお祈りしましょう。

 

 

  今週の祈り