おはようございます。訪問ありがとうございます。2025年ラストの「聖書のおはなし」です。
年末で、もう御自身の故郷に帰省されてる方も在られるんやろね。
先週は、皆さんそれぞれに、良いクリスマスのひと時を、お過ごしになられましたか。
クリスマスは、ほんまにウキウキして楽しいもんやな思うんやけど、片づけるんも少し寂しいかな。
でも、日本の場合は大概、クリスマスの飾りを片づけた後は、すぐ「お正月飾り」やんね。
さあ・・・今朝は、どんな話をしましょうか・・・。
今朝の御言葉
ほんな、今朝の御言葉を、さっそく開いてみることにしますね。この箇所です。読みましょか。
7 愛する者たち。私たちは互いに愛し合いましょう。愛は神から出ているのです。
愛がある者はみな神から生まれ、神を知っています。
8 愛のない者は神を知りません。神は愛だからです。
9 神はそのひとり子を世に遣わし、
その方によって私たちにいのちを得させてくださいました。
それによって神の愛が私たちに示されたのです。
10 私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、
宥めのささげ物としての御子を遣わされました。
ここに愛があるのです。
(ヨハネの手紙第一4章7~10節)
片づけなくていいもの
教会によっては、クリスマスの飾りを1月7日ぐらいまで飾り続けるとこもあるとも訊くんです。
東方教会って言われるとこでは・・・そうらしいんやんね。
私自身、知らなんだんやけどね。調べてみると、こうなんですよ。
ユリウス暦を教会暦として用いる教会では、グレゴリオ暦の1月7日に祝うんですって。
これはユリウス暦の12月25日が、21世紀現在、グレゴリオ暦の当日にあたるさかいってこととか。
ただ、ウチとこの教会は福音自由。プロテスタントのグループやさかい、大概は片づけるんかな。
でもね、ひとつだけ。皆さん自身が片づける必要のないもんがあるんです。
それは、クリスマスに味わった温かい思い出・心・・・。
ほって、何よりも愛です。
クリスマスの時期には、みんなでクリスマスソングを歌ったでしょう。
様々な場所で、いろんなクリスマスの関連行事を楽しまれた方も、きっと居はるんでしょう。
また、準備したプレゼントを交換したり、隣人との愛の気持ちを温め合ったり。
そんな気持ちを、来年まで片づけとくんやのうて、ずーっと自分の心に持ち続けることが出来たら。
それって、どれだけ素晴らしいことでしょう。
ここに愛がある
最初に読んだ御言葉ん中の10節を・・・、もっぺん一緒に読んでみましょか。
10 私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、
宥めのささげ物としての御子を遣わされました。
ここに愛があるのです。
(ヨハネの手紙第一4章10節)
私らぁが「愛」って言葉を語るとき、皆さんは、どういう感じの愛を想像されるでしょうか。
実際に、広辞苑とかで調べてみると、こういう感じで紹介されとるようです。
愛とは・・・
親兄弟のいつくしみあう心。
ひろく、人間や生物への思いやり。
男女間の愛情。恋愛。
大切にする。かわいがる。めでる。
確かに、これも間違いなしに愛なんやんね。
ただ、キリスト教で言われとる愛には、こういう種類のもんがあるんで・・・紹介しときますね。
「ストルゲー」・・・家族愛。
「エロス」 ・・・性愛。
「フィーリア」・・・隣人愛・友愛。
「アガペー」 ・・・まことの愛。
最初に読んだ御言葉の8節には「神は愛だからです」と、あったやんね。
まことの神様御自身の存在こそが愛であって、その愛が、イエス様自身を通して示されとんですわ。
ただね、「アガペーの愛」と「フィーリアの愛」は聖書ん中でに用いられとんやけど・・・、
「エロスの愛」は用いられてへんさかい、そのあたりは注意が必要なんです。
エロスも確かに・・・人々の命を繋ぐために、大切な愛のひとつではあるんやけどね。
私らぁ一人ひとりが、クリスマスを思い出させる物を簡単に片づけてしまうことは出来るんやけど。
でも、クリスマスに味わった愛の心を、ずーっと自分の心に持ち続けることも出来るんですよ。
どうか、皆さんの心ん中にも、あの時に味わった温かい愛の心が、覚めんと残って居りますように。
今週の祈り
愛する天の父なる神様。お名前を賛美いたします。
もう2025年が終わろうとしていますが、この激動に満ちた一年を支えてくださって感謝いたします。
クリスマスに頂いた愛の心、温かい気持ちを・・・、
どうか、いつまでも、自分の心に持ち続けることが出来ますように。
この年が共に守られ、支えられたことを感謝し、イエス様のお名前によって、お祈りいたします。
アーメン。




