お母さん教から解脱した話。
もう少し、続きます。
お母さん教信者の時は、
その理不尽で不合理な戒律を、
「守ることが愛」だと思っていたので、
破ることはできませんでした。
愛されたいと願うより、
愛したいと望む気持ちの方が、強かった。
ただ、
戒律を死守する「以外にも」愛する方法があると、
何なら、
戒律を破ってあげることもまた、愛だと、気付けました。
そしたら、
偶然か必然か、
「親に迷惑をかけてしまうのではないか?」
という不安や
「親に迷惑をかけてしまったらどうしよう」
という恐怖も、
すっかり、消えました。
迷惑や恐怖の所有者が、
しっかりと「自分」になったので、
わたしがどんなに無茶しても、
親は全く困らない!という
至極当たり前にして、最大の勘違いに、ようやく気付きました。
お母さんを、
ちゃんと突き放してあげることで、
わたしも、
お母さんも、
やっと自分を生きられる。
寄り添うためには、
まず、
ちゃんとお互いが別々の存在であると、
認識しなくちゃ、意味がない。
今まで、
お母さん教でガチガチに整型していたわたしのアウトラインは、
一旦、
ゆるんで、
どこまでも膨張して、
今度は、
何の制限もない、
どこまでも、どこまでも、
広く
大きく
まるで、
シシ神様の姿に収まっていた、デイダラボッチのように。

