昨日、久しぶりにお母さんに会って、
初めて「ただの他人」として、見ることができた。


今までは、
どんなに意識したって、教祖の座からは揺るがなかったのに。




今までわたしは、
他人に、自分のことを話すということに、
他人に、自分のことを尋ねるということに、
とてもとても、抵抗や嫌悪感があった。

それは、お母さん教の戒律だったから。

だから、
自分のことも話さないし、
自分の名前を呼ばれない話は、全て無視してた。

それが礼儀だと思ってた。
それが正義だと思ってた。
それが思いやりであり、気遣いだと思ってた。




まぁ、違うよね(笑)




結婚3年目に、
遂に、
無礼を承知で、旦那に、自分のことを尋ねてみた。
自分とお母さんの違いについても、尋ねてみた。




本当に、バンジーだった。




でもここで、初めて、他人の言葉を信じてみようって、自然と思えた。
(意識して信じることはできてたけど、自然と思えるのは、初)


そしたら、お母さんが、ただのおばさんに見えた。




衝撃だった。





そして、
わたしを縛っていた戒律の「存在」にも気付けて、
それが本来は、
お母さん自身を縛るための戒律だったことも、わかって、



謹んで、返上申し上げたよね。




お母さんの戒律には、
お母さんの悲しみや、辛さや、絶望や、
そういったものが寄り集まってできていて、
重くて冷たくて、とても怖かった。



でも、それを脱ぐことができたとき、
何だか本当に、空も飛べそうなくらい、軽くなった。



お母さん、
わたしは、

あなたが思うほど、
強くも弱くもありません。

あなたの戒律は、外部からの情報を遮断するので、
気付くにはとても時間がかかりました。


お母さん、
わたしは、

あなたの言葉を信じたように、
他人の言葉も信じてみようと思います。

あなたの言葉以外が全て、
お世辞や批判や嘘や社交辞令だとは、
どうしても信じられません。

あなたもまた、
お世辞や社交辞令を言うし、
他人だって、真実を語ります。


あなた「だけが正しい」などということは、有り得ない。


自分の意志で縛られた戒律を、
自分の意志で解脱します。