私の決断って、誰かの言葉によるものが大きいな、と改めて気付く。

経理・総務補助で入った前の会社も、1社目の社長の奥さんが、
「小口現金の管理がしっかりしてる」
って言ってくれたから。
(資格マニアなこともあり)簿記には興味があったので、経理の仕事をやってみようと思った。


今の会社を選んだのも、前の会社の(ブラハラ)上司に、
「長期的スパンで抱えずに済む、電話とかの仕事にしたら?」
と言われたから。
これに関しては仕事を管理することにかなり自信をなくしていたので異論もなく。

だからこそポジティブフィードバックで出てくる「計画性」は意外だったのかもしれない。

高校受験の時に父親に「◎◎高校なんか良いんじゃない?」って言われたのを真に受けて、
かなりレベルが上の高校に行くために塾にも行かせてもらったのに、
結局精神バランス崩して失敗。

塾やら、ピアノやら、専門学校やら。
自分がやりたいことに対して親に経済的負担をかけたという負い目。
以前にも書いた自分の意思を通そうとすると他人を不幸にする、ってのと同類かな。
これは、マサミチさんに「他人に変化を与えただけ」だと教えていただいたけれど。
刷り込みすぎて存在を忘れていたくらいしっかりと根付いている、ブロック。

高校卒業後の進路に悩んでいた時、音楽の専門に通いたいと思っていたところ、
幼稚園の頃から教わっていたピアノの先生に、
「音楽ではご飯が食べられないからやめなさい」
と言われて手に職をつけようと服飾系の専門に通おうと資料請求したこと。
これは母親に「おかしいと思った」と言われ、
「やりたいことをやりなさい」と軌道修正してもらったんだけど。

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自分で決断できない、流される私。
いや、言われた言葉を、「確かにそうかも」って納得はしてるんだ、その都度。

でも、なんで?とここで改めて考えてみる。
自分の意思を通そうとして、自分という人が不幸になるのが怖いの?
責任を取るって言ってたくせに、実は全く取ろうとしていない自分を認めるのが怖いの?

いや、違う。
「他人の言葉に流されてきた自分」の責任は、きちんと取ってる。
だからこその、今のような気がする。

なんでもできるとか、たぶんそれ以前の問題なんじゃなかろうか。
自分が本当にやりたいことをきちんと、私はきちんと選んでいるの?