不動山城跡(ふどうやまじょうあと)は荒れ放題でした | ふるさとの空 都会の空

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 今日はたまっているホームページの記事を作成しようと思い、朝からパソコンの前でキーボードを叩きはじめた時に携帯電話が鳴りました。

 電話の相手はお隣のご主人。何でも二城城を尋ねてきた方がいて、刀川小学校まで案内してきたが場所がわからないとのこと。刀川小学校のプールの西側ということを伝えて電話を切りました。

 それでも気になったので(一応赤城ふるさとガイドの会員ですので)、現場に出動。刀川幼稚園跡の駐車場から帰りそうな車を発見したので慌てて車を降りて話しかけてみました。

 何でも前橋から来られたとのこと。場所がわかり案内看板を見て行こうとしたが、草の種が枯れて道を塞いでいていけなかったとのことでした。

 そうでしたか。夏の雑草がそのまま枯れて、誰も手入れしていなかったんですね。

 せっかく来ていただいたので、一昨年作成された「身近で見られる渋川市赤城町文化財探訪」という冊子が手元にあったのでお持ちいただききました。
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 それで、二城城跡とはどんな城だったのか、渋川市のホームページから引用します。

不動山城跡(ふどうやまじょうあと)
市指定史跡 
昭和55年3月6日指定 
台地の西端に東西約50m、幅約30mの本丸を設け、東に二の丸、三の丸と続けた東西約250m、幅約100mの並郭式崖端城(へいかくしきがけばたじょう)で、今も腰郭・空堀などまでよく残っています。

築城年代は、古文書や城の構造からも永禄(1558-69)頃と推測されます。

天正8年(1580)真田氏の大進行の時、先陣の海野中務大輔(うんのなかつかさだいすけ)が700騎を率いて攻めますが、攻めあぐんでいると大将真田昌幸から不甲斐ないと叱られ、全騎下馬して突撃しようやく陥した、と「加沢記」に記されるほど難攻不落の城でした。

 さて、この時は雑草現場まで行かなかったのでどうなっていたのか気になり、夕方の日没前に行ってみました。

 夕日は綺麗だったのですが
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 案内板の周りは枯れ草だらけ
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 案内板も消えかけていますね
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 案内板の左側に遊歩道がありますが
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 このとおり、枯れ草で通称「バカ」の種が衣類に付いて取れなくなってしまうので行けませんね。
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 全体を見渡すと良いところなんですが。
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 このような訳でしばらくはこの状態が続きそうです。申し訳ございませんがしばらく見学できそうにありません。

 気を取り直して樽の見晴らし台へ。夕日がきれいな場所です。
 が!先客がいました。携帯しながら夕日見ていたんでしょうかね。ちょっと失礼してシルエットで写!
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 「オジサン何か用?」とか言われないうちにこの場を退散。

 次に向かったのが、宮田のほたる祭りの会場になる場所。蝋梅が咲いているか気になったので確認してきました。
 咲いていました。
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 この後、敷島駅前の「赤城田舎まんじゅう」の荒井商店へ。今日、ふるさとあかぎのホームページに記事を載せたのですが、お店の写真が撮影してなかったのでどうも間抜けな感じになってしまい、その写真を撮影するために出かけていったわけです。

 帰り道、榛名山の上空に新月。また樽地区の見晴らし台へ。今度は誰もいなかったのでゆっくりと撮影
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 良いところも悪いところもある赤城町ですが、出かけてみてください。


 今宵の月
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