夜7時になっても空は明るく、空気はまだまだ蒸していた。

 ふと空を見あげれば大きな木が茂っており、パタパタとコウモリらしきものが数匹、弧を描くように忙しなく飛んでいる。

 この木のある大きな庭の、その隣がみつば邸だ。

 門の前で、ちえりが大げさに両手を広げた。

「ねーぶんぶんち、おっきいでしょ!」

 ちえりが自慢げにダークネスグリーンに言った。ダークネスグリーンといっても、いつもの大根の葉のようなものは、頭からも背中からも出ていない「人間モード」であった。だから、だれも彼女が敵の四天王(ダークネスフォー)であるダークネスグリーンとは気づかないはずだ。

「そうね、大きいわね」

 ダークネスグリーンは、みつばの家を見上げながら答えた。パステルガァル!たちに近づき、隙をついて色彩元珠(パステルオーブ)を奪う。そういう作戦なのだ。

「大きいと大きいなりに悩みがあるんですわ。たとえば、合宿先になるとか」

 ショボーンという表情で力なくみつばが答えた。

 と、その時だった。彼女ら5人の耳に、女性の悲鳴にも似た声が入る。

「ああ…ああ!」

 みつばが振りかえると、そこには翡翠森(ひすいもり)の老夫婦がたっていた。

 どうやら老夫婦も帰宅して来たようだ。ちょうど年代物のリンカーンという車が、ドライバーによって立ち去ったあとと同時であった。

 翡翠森(ひすいもり)夫人は倒れこむように、地べたに尻もちをついた。膝から下に力が入らなくなったようだ。宇宙人にでも遭遇したような、物凄い驚いた顔をしている。

 一方、主人の方は、夫人のように座り込みはしなかったが、同じように「信じられない」といった、険しい表情でこちら側を見ていた。

 驚いている老夫婦の視線の先を、みつばは追う。

 視線の先には、長髪の娘…いわゆるダークネスグリーンしかいない。

「おばーちゃん、だいじょーぶ?」

「お、おばさま!?」

 ちえりとみつばは、倒れた夫人を起こそうと駆け寄った。

「か、かえで!? かえでが、かえでが生きているわ!?」

「ばかな、そんなことがあるものか。しっかりしなさい」

 夫人は声を上げたが、主人のほうは冷静にそれを制した。いや、主人も取り乱していることを、見せないように必死だったのかもしれない。

「どうしたの?」

 少し後ろを歩いていた、るりかとあかねも駆け付けた。

「いやいや、大丈夫なんだ。おおごとになってしまって、すまないね」

 主人は、抱えるように夫人を起こしながら、話し続ける。夫人はダークネスグリーンを凝視したままだ。

「実はね、過去に娘がいてね。不幸にも事故で亡くしてしまってね。」

「はい、ばあや、からお聞きしましたわ。お気の毒ですわ」

 相槌をうちながら、みつばが悲しい表情で答えた。

「とても、大人しくて、調和を愛する子だったの…」

 そいうって、夫人がダークネスグリーンを指さす。

「みつばちゃんのお友達、そっくりなの。かえでに」

「え? わ、わたしが…!?」

 この時、一番面食らった表情をしたのは、他でもないダークネスグリーンはだった。

「お嬢さん、申し訳ないね。違うことはわかっているんだよ。もう何十年も前の話なんです。お騒がせしたね」

「そうですね…、本当にごめんなさいね。でも、もしかしたら、ひょっとしたらって思ってしまいましてね」

 翡翠森(ひすいもり)老夫婦はダークネスグリーンに頭を下げた。

「おねーさんは、ちえりたちのお友達だから、こんどおじーちゃんとおばーちゃんち行くね!!」

 ちえりが明るく、そういった。アテのない約束かもしれないが、ちえりの笑顔は夫人の心にじんわりと染みこんでくるようであった。

「ありがとうね、お嬢ちゃん、みんなで来てね」

 夫人も笑顔を取り戻すことが出来たようだ。

 そして、ダークネスグリーンまで歩み寄り、彼女の手を取る。

「あなた…いつでも来てね。待っているわ」

「い、いつでも…待っている…?」

 その言葉の意味を噛み砕くようにダークネスグリーンは復唱した。どんな表情をしていいか判断できない、複雑な顔をしている。

「さあ、いこうか。じゃあ、お騒がせしたね」

「ごきげんようですわ、おじさま、おばさま」

 みつばは心配そうな表情で手を振り、見送った。

 老夫婦が去ったあと、自然と4人の視線はダークネスグリーンに集まった。

「そういえば、ねーさんって名前なんて言うんですか?」

 初めに口を開いたのは瀬々良木るりか。確かにそうだ、ガァル!ズたちは、誰も目の前の娘の名前を知らなかった。

「え?」

「あたしら、ちゃんと全員、自己紹介したよ」

 あかねがダークネスグリーンに、一歩詰め寄った。

「え? な、名前?」

「そうですわ。よろしければ、お名前をお伺いしてもよろしくて?」

 まさか、「名前は、ダークネスグリーンよ」と言うわけにもいくまい。ここまで近づけたのに、すべてが水の泡になる。

 ダークネスグリーンは焦ったが、とっさに適当な人間の名前など、思い浮かばないし、考えられるはずもなかった。

 しかし、このまま黙っていれば、確実に不審がられてしまう。

「…そうよ、か、『かえで』よ。あたしの名前は『かえで』」

 投げやりな感じでダークネスグリーンはそう答えた。そう答えるしかなかった。今しがた聞いた…それくらいしか人間の娘の名など出て来るはずもなかった。

「なんだって! じゃ、じゃあ、本物なのか!? まさか…なく、亡くなったはずの!」

 あかねはびっくりしている、というよりビビっている。ソッチ系は苦手です、な表情だ。

「ちょいちょーい! そんなわけないでしょーが!」

 るりかがオーバーアクション気味に両手でダークネスグリーンの前を塞(ふさ)いで、あかねを制止する。

「どういうことですの?」

 みつばは目を丸くしている。ちえりは、いつもながら、ふーん、そうなんだー、と、言う反応だった。

「つまりさ、ホントーに、偶然なのよ。ね、名前まで一緒だったってことですよね、ねーさん。ほら翡翠森(ひすいもり)のご夫婦だっけ? あんだけ驚いていたでしょ」

「確かに。悲鳴をあげたからさ。びっくりしたけど。ちえりがいたずらでもしたのかと思った」

 あかねがちえりの頭のうえにポムポムと手を置いた。

「しないよーだ」

「おじいちゃん、おばあちゃんが勘違いしそうになっているところにさぁ、これで名前まで一緒だってわかったら、どーなることか。おばあちゃんなんか、大パニックになっちゃうでしょ」

 るりかはダークネスグリーンの表情や様子を伺いながらしゃべっている。

「確かに、混乱しますわね」

「そ、だから黙っていたってワケ。名前を言うの、思わず躊躇(ちゅうちょ)しちゃったってことですよね。展開的に」

 るりかの必要以上に深く状況を読んだことが幸いして、ダークネスグリーンは逆に窮地を脱出できてしまった。

「そ、そういうことなのよ。ちょっと、言いづらくなっちゃって」

 複雑な感情で、かえでことダークネスグリーンは答えた。

「じゃあ、かえでさん。あまりゆっくりできる時間はないかもしれませんが、どうぞおあがり下さい。ばあやも紹介しますわ」

 みつばに促され、みんなとダークネスグリーンは玄関の庭に中に入って行った。

「間一髪、バレなかった」

 と、胸を撫で下ろすところだが、ダークネスグリーンはそんなことよりも胸がモヤモヤとしていた。

 翡翠森(ひすいもり)老夫婦が、頭から離れない。

 わかっている。自分自身に用があるわけではないと言うことを。

 知っている。老夫婦が求めているのは、私に似ている、死んでしまった娘だと言うことを。

 それなのに、「いつでも来てね。待っているわ」と言う言葉が、声が、表情が、そして手の温もりが、ダークネスグリーンの脳裏から離れない。

「かえでちゃん、ここね、お靴脱がなくていいんだよ!」

 ちえりは、ダークネスグリーンの手を引いた。

 人間に化けていた曖昧(あいまい)な存在に、「かえで」という名前がつけられた。

 架空の人物が、具現化する。

「そうなの、すごいのね」

 かえでを演じようとする。

 ダークネスグリーンにとって、「かえで」という存在はモヤモヤした。

 それは、とても心地の良い、モヤモヤだった。