「いだだだっ! ちょ、ちえり加減してよ!」

 るりかが悲鳴をあげた。

「へへ。るりかちゃん、カタいね」

 いたずらっぽくちえりが背中をさらに押す。ぐぎゃーと叫ぶ、るりか。

 るりかはジャージ姿でまたを大きく開いて座って、その背中をちえりに押されている。

 ここはちえりの通うダンススタジオ。ちえり他の3名は予定通り体験教室に来ていた。今はダンスの練習云々の前に、しっかりとケガをしないようにストレッチをする時間だ。

「体が硬いのはあたしだけ? みつばもあかねも、なんでそんな体やわらかいのよっ」

「わたくしは小さい頃から、バレエをたしなんでおりましてよ。今はやめましたが、未だにストレッチはお風呂上りにしてますわ」

 まあ、庶民には少しレベルの高いたしなみかもしれませんことね! と高らかに嗤(わら)った。るりかを小馬鹿にするのが目的で。

「体が硬いとケガするんだ。柔軟とか準備運動は大切なんだよ」

 あかねもそう言った。

「むむー。あたしも演劇部だからね、ストレッチとか腹筋は結構鍛えてるんだけど。なんつーか思いの外、柔軟はニガテ…」

「ええ~、演劇やってるんですか!?」

 るりかに声をかけてきたのは、同年代の女子だった。ポニーテールみたいな髪型だが、その結び目は左側にある。サイドポニーと言うらしい。

「うちの演劇部は結構本格的なんですよ。春、夏と年末で、身内だけじゃなくて、ちゃんと一般の人も招いて公演やってま~す!」

「ステキ!」

 サイドポニーの少女は、興味津々にるりかの話にかじりついた。

「そうなす。OGの先輩が劇団に入ってて、よく面倒みてくれるんで」

 るりかも悪い気はしないようで、ペラペラとしゃべり続ける。

「そあちゃん、ミュージカル女優になりたいんだよね!」

 ちえりが、その娘の袖をひっぱりながらそう言った。

「あ、わたし、天神(あまがみ)そあらっていいます。るりかちゃんと同じ中2だよ」

 そあらは笑顔で挨拶した。

「へ~、中2で体験レッスンの先生やってるなんてすごいですね」

「まあ、体験といっても基本的なことしかやらないから。先生たちも他のレッスンあるし」

 なんて雑談をしていると。

「すみません、体験ダンスレッスンまだ、いいかしら?」

 入り口の扉のスキマから半分身を乗り出してる女子がいる。時間はレッスンがスタートして10分ほど経過していたが。

「あ~、まだ大丈夫ですよ! どうぞどうぞ!」

 そあらも新規生徒を獲得するのに必死なのだろうか。営業スマイルのような感じで女子を招き入れた。

 どうぞ、と言われ、若干挙動不審な感じでその女子は入ってきた。高校生ぐらいだろうか。もっと上にも見える。髪は長く後ろで縛っていて、シンプルな緑色のジャージと「GREEN」と緑で書いてある白地のTシャツを着ている。

 懸命な諸兄には説明する必要は無いが、蛇足的に言わせていただくと明らかにダークネスグリーンであった。

 ただし、いつもの様に頭や背中から大根の葉っぱは生えていない、いわゆる人間モードだった。

「おねーさん、こっちあいてます!」

 ちえりが彼女を早速誘導した。

「じゃあ、次は曲に合わせて軽くステップの練習をしてみましょう」

 そあらが手をパンと叩いて、みんなに号令した。

「パステルガァル!スキを見つけて、色彩元珠(パステルオーブ)を奪って見せるわ」

 緑の女子は誰にも聞こえないように、そうつぶやいた。

 4人そろったパステルガァル!に脅威を感じたのだろう。四天王(ダークネスフォー)は、パステルガァル!の内側に入り込み、内部から崩そうという企(くわだ)てなのであろうか。

「あ、おねーさん、ちがうよ、手、逆!」

 ちえりが緑のジャージの女子、ダークネスグリーンに教えている。

「…パステルチェリー」

 一瞬、ダークネスグリーンは小さくつぶやいた。

 ダークネスグリーンにとって、この英ちえりこと、パステルチェリーは「未知数」であった。

 つまり、この少女が絡むと、いつも想定範囲外に物事が進んでしまう。自分の思い通りに行かない。

「みどりのおねーさん、手こっちだよ。聞いてる?」

 ダークネスグリーンは、ちえりに手を掴まれた。

 ブワッ!

 実際にブワッという音はしていない。

 しかし、ダークネスグリーンの目に飛び込んできた、ものすごい光は、ブワッ表現するに値する現象だった。

「な…なに!」

 視界を奪われたダークネスグリーンは、今度はこの人間の層(レイヤー)で馴染んできた自身の体重から、瞬間的に開放されたような感覚に陥った。

 まるで、自分自身が何かに溶けてしまいそうだった。そう、それは存在ごと。自分が丸ごとフェードアウトして行く。

「ちょっと、もー、おねーさん!?」

 ちえりが大きな声で叫ぶと、はっとダークネスグリーンは我にかえった。

 光はない。もちろん、身体も元通り、ちゃんと重みがある。遠のきそうになった意識も、ちゃんとある。

「…あれ? 何、今の?」

「おねーさん、まさか一瞬で寝ちゃったの!?」

 びっくり仰天しているちえりのセリフに、まわりのみんなも注目して笑い声が起きた。

「ちょっと、ちえり~。ふざけないでよ。おねーさん、困ってるでしょ」

 天神(あまがみ)そあらが近づいて来る。何をしているんだか。

「ちえり、ふざけてないよ」

「ごめんなさい、ちょっとボーっとしちゃって」

 ダークネスグリーンは、気をとり直し、とりあえず謝っておいた。怪しまれたら面倒だ。

「おねーさん、テンネンなんだ!」

 と言うちえりに、「お前が言うな!」と言うセリフが全会一致の団結のもと浴びせられた。

「ちえりだって、最近でしょ、この振り覚えたの。それまで地上で溺れたのにねー」

 そあらがちえりのオデコに軽くデコピンした。

「とにかく、ちえりはおねーさんに責任持って教えてね。わたしは、るりかちゃんたち3人教えるから」

「わかた!」

 ちえりは元気よく返事をした。

 ダークネスグリーンは先程握られた手を見つめていた。

「さっきの、あの感覚はなんなの?」

「はい、じゃあ、おねーさん、手はこうです」

 もう一度、ちえりに手を握られたが、今度は何も起きなかった。