JR総武本線旭市の干潟駅。ローカル色が豊かで
レトロな駅舎で明治31年(1898年)2月25日に
総武鉄道の駅として開業しました。(^^♪
干潟駅から歩いて程なくの場所にある干潟公園。
この周辺は江戸時代初期まで椿海(椿の湖)があり
その名残りがあります。(*'▽')
旭市鎌数に鎮座する鎌数伊勢大神宮に
参拝しました。この周辺も椿海(椿の湖)
と言われる湖が広がっていました。(^^♪
江戸時代、白井治郎衛門と辻内刑部右衛門が
干拓工事をする際、伊勢内宮梅谷左近大夫長重神主
に工遂行の大祈願をお願いし、干拓完了の感謝記念
として寛文12年(1672年)現地に伊勢皇大神宮の
御分霊を勧請いたしました。(*'▽')
千葉県らしい落花生の碑が建立されています。
江戸時代後期の弘化2年(1845年)に取り入れたそうです。
金谷総蔵が貧しい村人を救いたいと思い明治11年(1878年)
千葉県庁から落花生の種を譲り受けて栽培を始めました。
椿海(椿の湖)の干拓は江戸時代初期、杉山三右衛門
が計画いたしましたが幕府より許可が下りず、その後
白井治郎右衛門と幕府の大工頭・辻内刑部左衛門に
より開始されました。(*‘∀‘)
しかし下流の村々の反対や椿海(椿の湖)の排水処理
などにより工事は困難を極め、白井治郎右衛門は
資金難により離脱、辻内刑部左衛門は江戸白金台
黄檗宗瑞聖寺の鉄牛和尚に協力を頼み、工事は再開
されました。( ˘ω˘ )
寛文8年(1668年)から3年後の寛文11年(1671年)
新田開発が始まり・干潟八万石とも言われました。(*^^*)
(鉄牛和尚の干拓の功績には諸説あるようです)
(江戸時代初期と現代の椿海・椿の湖周辺)
これにより元禄8年(1695年)検地により18の村が誕生
しましたが水をめぐる問題は大利根用水が出来るまで
解決しませんでした。
椿海を見てみたかった・あまきオフィス











