不登校は「愛情不足」と「親のしつけ」。
ブログをいつも読んでいる方のところに書いてあるのを見て思ったことは。
私はだれに言われたわけでもないのに、
自分でそう思ってた。
私の愛情が歪んでいるから。
私が親じゃなかったら。
の
誰に責められたわけではないけれど、
そう思っている自分がいたのは間違いない。
だから。
私を変えなきゃと思って。
潜在意識の書き換えとか共感と傾聴とか、
私に足りないものを補おうと思って
がんばってた。。。
でも、がんばっても、何も変わらない自分を責め、
何も変わらない子供を嘆き、
何をやっても、うまくいかないことに腹も立ったし、
何もできない自分を責めた。
『自分を責めることは、人を責めていることと同じだよ』
という何とも言えない奥の深い言葉。
今でも、自分責めが、完全になくなったわけではない。
いまだに思う。
もし、私が母親じゃなかったら・・・っていう思いはある。
昔よりは薄れたけれど。
こんな自分が変えたくて。
潜在意識の書き換えみたいなことやったけれど、
簡単に言えば、
今の自分の思いをどんどん吐いていくと、
どんどん深堀していくと、子供のころの記憶に戻る。
子供のころに起こった、嫌な出来事をいい方向に書き換えていこう、みたいな。
結局これも、
子供のころ、愛されていないと思っていたけれど、実は・・・みたいな。
子供のころの小さな小さなトラウマみたいな、
自分の勝手な思い込みみたいなものを書き換えていこう。
これがまたびっくり。
昔の嫌な思い出。
私の場合は、理不尽の父親。
子供のころに自分の意見を言ったりするなんて、もってのほか。
父親の機嫌に応じて怒られる。
相手のことを考えての配慮などみじんも考えていない父親。
叩かれるなんて当たり前。
私のことを徹底的にこらしめる言葉の数々。
意見を言えば、馬鹿にされ、
わかりませんといえば、何も考えていないといわれ、
黙っていれば、聞いているのかと罵倒される。
いくらやっても、これは書き換えられなくって。
子供のことを思って、怒っているんだろうけど。
あまりにも自分勝手で理不尽で、
自己肯定感の一つすら、握りつぶしてくる父親で。
そんないろいろな小さな時の嫌な思い出を
一つ一つ深堀していくことで、本当は自分は何をしてほしかったか、
相手は、どんな思いだったのか。
うーーーーーーーーーーーーーーーーーん。。。
今思うと、何一つよくわからない。
潜在意識の書き換え。
よくわからなさすぎっ
昔の嫌だった記憶を書き換えるのは、無理。
深堀りすればするほど傷ついて。
何も変わらない自分に嫌気がさして。
で、結局、何もできない自分、
何も変わらない自分を責めることになる。
そうじゃない。
傷ついたっていうことは事実で。
嫌な思いをしたっていうことは本当で。
それを、塗り替えることのほうが、
私にとっては、とっても残酷なこと。
一つ言えるのは、
誰でもいいから、
「くそ、むかつく、くそ親父が!」みたいなことを
誰かに話すことができる環境があればよかったなって思う。
「私が生まれたから」母親は逃げたくても逃げられなかった、
と思ってたけれど、
ここだけは、そうじゃなかった、と今は思う。
でも、小さい私は、私がいなければ、
お母さんはもっと幸せになれたんじゃないかって思ってた。
私がいるから、嫌でも離れられないんじゃないか。
私があのとき、引き止めたから、出ていけなかったんじゃないか。
自己肯定感はゼロで
自分の存在価値が悪だと思ってたから。
ここの潜在意識が変われたら最高だったんだけど、
これぽっちも変わらなかった。
でも、小林正観さんの
「人生はシナリオ通り」という言葉を聞いたら、
すべての力が抜けた。
潜在意識がどうとか、顕在意識がどうとかいう団体には気を付けてください。
私は、アメブロで引っかかったから。
でも、きっと。
小林正観さんの人生はシナリオ通りが受け入れられたのは、
何をやっても変わらない自分にあきらめがついたから。
あれをやって、これをやって、全然だめで、
もうそっちの方向じゃないんだよってことを、
教えてくれた、きっかけになったんじゃないかとさえ思う。
紆余曲折だったけれど。
おかげで、私はちょっと前に進めた気がするから。