『がんばればどうにかなる』
『どうにかならなくても、ちょっとはどうにかなる』
私はきっと『努力型』
そこそこ努力すれば
完璧にまでにはならないけれど
迷惑をかけない程度にはなれると思っている
努力すれば
できないこともそこそこにはできる
だから
人はそこそこは努力しなければいけない、と。
でも、不登校の子供を見ていて思ったことは
私が頑張っても
どうにもならないこともあるってこと。
ポンコツが治らないなら
ポンコツでも許される世界を作ればいいんだ
私は環境に合わせてきた
周囲の人に合わせ
顔色をうかがい
自分が迷惑をかけていないか
自分のペースなんて度外視して
周りのペースを見て動いてきた
自分の生きやすい環境を作るなんて
考えたことがなかった
わたしの考え方はこうだ
『がんばればそこそこにはなれる』
『だから、がんばれ』
根拠も何も無い、気合論w
頑張ってもできない→努力が足りない
人並みになれるように
でも、今回(不登校)
『がんばってもできないものはある』
認めざるを得ない
この著者の方は
「できないいこと」って、あたかも努力すればできるようになると思ってるけど、いくら頑張ってもできないことってあるんですよ
それを「やり続けていればいつかはできるはず」
と思うから、誰かと比べて上を見て落ち込むんですよね
全くのその通りだ
頑張れば、学校に行けると思ってた
やり続ければ、できると思ってた
まわりの子と比べて落ち込んだ
でも、少なくとも幼いころから今にかけて
やり続けているのにもかかわらず
今だにできないことは、これからもできない
そしてそれは、ショックなことではありません
『できない』とちゃんと認めるからこそ
『じゃあ、どうすればいいんだろう?』と
はじめて自分のことが見えるようになるんです
ショックなことじゃないと著者さんは言うけど
私はショックなことだった
『普通なことができない』ことを認めるのは
自分のことじゃない子供のことだから
でも、今回、
いろいろを経て
『じゃあ、どうすればいいんだろう?』
と考えることができるようにはなった気がする
ポンコツの親が
ポンコツの親のまま
許される世界を作っていけばいいんだ