『がんばればどうにかなる』

『どうにかならなくても、ちょっとはどうにかなる』


私はきっと『努力型』

そこそこ努力すれば

完璧にまでにはならないけれど

迷惑をかけない程度にはなれると思っている

努力すれば

できないこともそこそこにはできる


だから

人はそこそこは努力しなければいけない、と。

でも、不登校の子供を見ていて思ったことは

私が頑張っても

どうにもならないこともあるってこと。





 

 

今、私はこの本を読んでいる。
なかなか面白い。
もういろいろいいやと思っていると
今までとは違うものが目に入る。


私は今まで
苦手なものを克服していく努力をしてきた
私は、『普通の人』になりたかったから


この著者の方は、全くの逆で、
『治せと言われて治るものじゃない』


ポンコツが治らないなら

ポンコツでも許される世界を作ればいいんだ


私は環境に合わせてきた

周囲の人に合わせ

顔色をうかがい

自分が迷惑をかけていないか

自分のペースなんて度外視して

周りのペースを見て動いてきた


自分の生きやすい環境を作るなんて

考えたことがなかった



わたしの考え方はこうだ

『がんばればそこそこにはなれる』

『だから、がんばれ』


根拠も何も無い、気合論w


頑張ってもできない→努力が足りない

人並みになれるように

でも、今回(不登校)

『がんばってもできないものはある』

認めざるを得ない


この著者の方は

「できないいこと」って、あたかも努力すればできるようになると思ってるけど、いくら頑張ってもできないことってあるんですよ

それを「やり続けていればいつかはできるはず」

と思うから、誰かと比べて上を見て落ち込むんですよね



全くのその通りだ

頑張れば、学校に行けると思ってた

やり続ければ、できると思ってた

まわりの子と比べて落ち込んだ



でも、少なくとも幼いころから今にかけて

やり続けているのにもかかわらず

今だにできないことは、これからもできない

そしてそれは、ショックなことではありません

『できない』とちゃんと認めるからこそ

『じゃあ、どうすればいいんだろう?』と

はじめて自分のことが見えるようになるんです



ショックなことじゃないと著者さんは言うけど

私はショックなことだった

『普通なことができない』ことを認めるのは

自分のことじゃない子供のことだから


でも、今回、

いろいろを経て

『じゃあ、どうすればいいんだろう?』
と考えることができるようにはなった気がする



ポンコツの親が

ポンコツの親のまま

許される世界を作っていけばいいんだ